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【ロングインタビュー】大阪の縫製業を末代まで守り抜く

2014.09.09

>>>2006年には実店舗を始めていますね。

2004年にはネット事業部を父の会社から独立して有限会社ノービア・ノービオを設立しました。ただ、それまで年々150%ずつ伸びていた売上げが頭打ちになっていました。調べてみると大手紳士服チェーンがネット通販を始めていたことがわかりました。そこで、大阪谷町に店をオープンしました。何とか売上げを伸ばそうと始めたのがブログでした。紳士服のフォーマルスーツのことを調べたときにそのブログが検索の上位に引っかかるように、タキシード、燕尾服などの単語を散りばめながら毎日欠かさず情報を発信したところ、たちまち売上げが3倍ほどに増えました。

nfl013▲株式会社NFL 代表取締役 川辺 友之氏

父は苦労しながら卸の仕事を縮小し、代わりに結婚式場の事業を始めました。49800円の価格設定で「日本一安い結婚式場」をうたって一世を風びしました。結婚式場のビジネスは紳士服卸の手形商売と違って現金が先に入ってくるので、力が入ったようです。

2007年以降は父の会社で抱えていた縫製部門、物流倉庫などをどんどんうちの会社に移していきました。ノービアノービオとは別に4年前にはお直しのソーイングの会社もつくっています。

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>>>お父様の結婚式場も得意先の一つなのですか。

そうですね。私は兄と姉と弟の4人きょうだいなのですが、現在それぞれのビジネスで社長をしていて、お互いにかかわっています。父と弟は大阪の結婚式場を運営する会社に、姉は亡くなった母がデザイナーとして経営していたウエディングドレスの会社を、兄は父の会社の東京支店を結婚式場に改装して事業をやっています。母がえらかったですね。父が結婚式場の事業を始めてから、なんとか借金を減らそうと5年間休みなしで働いていました。その過労もあったのか8年前に亡くなりまして。それで、父ときょうだいは団結しました。今も家族みなとても仲がよくて、苦しかった時代を乗り越え、家族が助け合いながらここまできました。

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>>>縫製業界はアジア勢との競争が大変だと思いますが。

この周辺にはかつて40軒ほどのアパレル縫製工場が軒を連ねていたのですが次々に廃業し、今はうち1社だけになってしまいました。縫製業はおじいちゃんが始めた生地屋がルーツですから、何とか守り抜こうという強い気持ちで続けてきました。「しんどいけどやったった」という気持ちを味わいたいと思っています。近隣にはボタン屋さん裏地屋さんも多く、紳士服をつくるうってつけの場所で、日本を見渡しても大阪で作るのが一番安あがりかもしれません。近年は中国の人件費が上がってきたことで、競争力は上がってきました。時代の流れはこっちにきていると感じています。今は自社商品にくわえてOEMも伸びており、工場は目いっぱい稼動しています。

nfl012▲関西大学 商学部 2回生 篠原 梨沙さん

人手の確保も大変ですが、若い人の中に縫製職人を志す人が増えています。手に職をつけたいという人が増えつつあるのだと思います。近隣の服飾専門学校からオファーが毎年のように来ており、毎年4人ほどインターンシップで学生がやってきて、その中から1人、2人が残って採用しています。会社をいったん退職したOBの方が、若い社員たちに技能を伝承してくれています。大阪の縫製業を担う若手も育てていきたいですね。

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(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)

株式会社NFL

代表取締役 

川辺 友之氏

http://www.nfl.co.jp/