産創館トピックス/講演録

《講演録》ガンバ大阪 伝説のスカウトとサッカー元日本代表が考える『成功に導く人間力』とは

2025.01.06

2024年6月4日(火)開催
【トークライブ!】ガンバ大阪 伝説のスカウトとサッカー元日本代表が考える『成功に導く人間力』とは

講師
二宮 博氏(Jリーグガンバ大阪 元スカウト)
橋本 英郎氏(サッカー 元日本代表)
(インタビュアー 北川 信行氏)

変化が激しく予測不可能な時代、ビジネスパーソンには人間力がますます必要だといわれる。「あの人と一緒に働きたい」「信頼できるあの人から買いたい」など、ビジネス上で人間力の価値や必要性を感じたことはないだろうか。今回のトークライブでは、ガンバ大阪で7人のサッカー日本代表選手を発掘し育成に携わってきた二宮 博氏と、元サッカー日本代表で43歳まで現役を続け、経営者としての顔も持つ橋本 英郎氏を講師に、人間力を育むヒントについて語ってもらった。
 

■ 失敗したときこそアドバイスは心に入る

北川:お二人とも昨年に本を出されましたが、二宮さんは著書の中で橋本さんを取り上げておられます。橋本さんのどんな考え方が素晴らしいと思われたのでしょうか。

二宮:ハッシー(橋本 英郎氏)はガンバ大阪ジュニアユース時代、同期に稲本 潤一などハイレベルな選手が多数いて、大きな衝撃を受けて挫折を味わいました。中学1年でその挫折経験し、それでもくじけずにコツコツと努力を重ね、いろんなやり方や選手を見ながら能力を伸ばしていきました。

やはり、考え方において自分を知る努力をしたということが大きな武器になったと思います。自分の強みや弱み、周囲から何を期待されているのか、監督は何を求めているかをその都度考え抜いて工夫してきました。

北川:二宮さんは著書の中で橋本さんの長所を三つ挙げておられます。その中でまず「受容力」について、橋本さんはどう思っておられますか。

橋本:僕は小学6年生まで非常に自己中心的な性格で、自分でもサッカーがうまいと自負していました。大阪市の小さなチームのキャプテンでFWをやっていて、「自分が点を取ってチームを勝たせる。負けたらおまえらが点を取られるからだ」とさえ思っていたのですが、ガンバのジュニアユースに入って自分の実力を思い知らされました。

皆さんも経験していると思うのですが、自分の考え方の誤りには、よほどのことがないと気付けないものですし、人の意見も素直には聞けないものです。むしろうまくいかないときにこそ、他人のアドバイスがスッと入ってきます。僕は中学1年のときにジュニアユースのレベルが高すぎて、自分のメンタルも体も地の底まで落とされたような感覚でした。正直、サッカーを辞めようとすら考えていました。

北川:そのとき辞めなかった理由は。

橋本:やっぱりサッカーが好きで、周りのレベルが高い中でも「うまくなれる」という瞬間を味わえたのが大きかったかもしれません。

 

■ フランス人監督が評価した「あいさつ」

北川:中学時代以降の橋本さんはどうでしたか。

二宮:ハッシーは足が早かったのですが、そのころは彼が日本代表のボランチになるとは想像できませんでした。中学のときは稲本という強烈な同級生がいて、高校に上がると交野FCから新井場 徹(※ガンバ大阪や鹿島アントラーズなどで活躍したDF)というとんでもない選手がチームに入ってきます。稲本がアーセナルFCに移籍すると今度は遠藤 保仁(※ガンバ大阪で活躍した元日本代表選手)が、さらに2006年には明神 智和(※ガンバ大阪などで活躍した元日本代表選手)がガンバ大阪に入ってきました。

この前、自著の推薦人である当時ガンバ大阪の監督だった西野 朗さんと話しているとき、「そのころのハッシーはどうでしたか」と聞くと「ハッシーはチームに欠かせない存在だった。3人が前に出てもハッシーは絶対に残ってくれる」と言っていました。つまり、ハッシーは「チーム第一」なんです。25年間で通算510試合に出て得点はあまり挙げていませんが、実力のある選手と協調しながら、諦めずに自分の居場所を探していました。

進学校の天王寺高校から大阪市立大学(現:大阪公立大学)に進み、ほかのプロ選手とは異次元の出会いや交流を持ち、文武両道の二足のわらじを履いていたからこそ視野が広く、さまざまな角度から自分を見ることができた。そうした“心の柔らかさ”があったように感じています。

北川:橋本さんのポリバレント(※複数のポジションをフレキシブルにこなせる能力)や周りの人を活かす力が発揮したきっかけは。

二宮:プロ2年目のとき、フランス人のフレデリック・アントネッティ監督がJリーグヤマザキナビスコカップ(現:JリーグYBCルヴァンカップ)で彼にデビューの機会をくれました。なぜか。アントネッティは「目が合うとあいさつしてくれるのはおまえだけだ」と話していました。自ら監督のほうへ歩み寄る姿勢を評価し、チャンスをくれたのだと思います。

 

■ ポジションを取るには「観察力が大切」

橋本:僕はユース時代からトップ下やFW、右ウイングバック、左ウイングバックなどいろいろなポジションを経験しました。1軍に上がってからもトップでは出られないという状態が続き、「平均値はあるけど一芸として秀でているものはない」と悩んでいました。
そんななかで、トップチームコーチの堀井 美晴さんから「トルシエジャパンに呼ばれた明神を知っているか。あいつはポジショニングがすごい。それを評価する人がいるということは(お前にとっての)武器になる」と聞き、明神さんを研究するようになりました。

その後も、西野さんからいろいろなポジションの考え方、見え方があるということを教えていただきました。サッカーは11人で行うスポーツなので、攻撃するときにはポジショニングにおける最適解があります。そのポジションごとの景色や考え方を繋ぎ合わせていくことを、オシムさんに再確認させてもらいました。

北川:橋本さんは著書の中で「サッカーは助け合えるスポーツ」と書いておられます。

橋本:11人の特徴が、自分の苦手なところを助けてくれます。それは会社の経営でも同じで、グループでプロジェクトをするとき、経営者の方はメンバーの長所と短所を組み合わせたりすると思います。僕らのチームでも同じですが、たとえば面白いという長所がある人がいれば、しんどいときにチームの空気感が変わって良い方向へ行くこともありますよね。

北川:また、良いポジションを取るためには「観察力が大切」と著書にあります。

橋本:そうですね。その人のプレースタイルや性格を観察することが大切です。サッカーで言うと、ヘディングで競り合う場面で相手選手と味方選手のどちらが勝つかを予測するときも、体格差を含めていろいろ観察していました。

北川:観察力やコミュニケーションについて、二宮さんはどう思いますか。

二宮:ハッシーはそれぞれの強みを客観的に理解し、考えることによって境地を切り開いていきました。その中で観察力を磨き、コーチ、監督、先輩後輩など誰とでも分け隔てなくコミュニケーションを取れることが彼の強みなのではないかという感じがします。

 

■ 岡田武史氏も認める「主張力」とは

北川:二宮さんは著書の中で、橋本さんの「主張力」について「チームメイトや監督、コーチに自分の考えを明らかにし、上手に伝え、チームに自分を合わせていく。穏やかに振る舞いつつ燃えるような闘志を持っていて、学習能力の高さ、マイペースと切り替えができる」と分析されています。

橋本:主張力については、中学2年のときの試合が印象に残っています。レギュラーではなかったので、途中から試合に出て流れを変えないといけない中、その試合でけっこう声を出したんです。そのころサッカーに自信をなくしていましたから、学校生活に比べるとサッカーはおとなしかった。ただ、その試合では勝ちたいがために声を出して主張したことで状況が好転しました。その成功体験がその後に生きているという感覚はあります。

二宮:天王寺高校の先輩である岡田 武史さんにハッシーのことを聞くと、「チームの選手の年齢やポジション、実力といったことをわきまえつつ、フランクなコミュニケーションができる人なので、こちらも聞かざるを得ない」と。岡田さんの話から、ハッシーは穏やかに人を見て、タイミングや状況に合わせて変えていける一面があると学びました。

北川:オシムジャパンでは練習が複雑で、その意図が私たちメディアにうまく伝わりにくい状況がありましたが、橋本さんが丁寧にすらすらと説明しつつ対応され、メディアとしても記事を書くうえで助けていただきました。橋本さんの主張力の中には、自分の言葉に変換できる力があるのではないでしょうか。

橋本:ガンバ大阪で試合に出て取材を受ける機会があったのでメディアへの対応は慣れてはいました。それに、代表選手にはメディアを苦手にしている人が多いんです。事実をねじ曲げられることもあるのであまりしゃべらない。なので、選手が練習などについて話した内容に、僕が補足していました。

北川:そういった点もポリバレントですね。一方で自分の「軸」ということについてはどう考えていますか。

橋本:僕自身は「サッカーが好きでうまくなりたい」という軸はずっとありましたし、プロで生き残っていくために、これはあまり良くない表現ですが、周りの選手を無理に引っ張り上げることはしてきませんでした。挫折して脱落していった選手も数え切れないほど見てきました。そういう姿を見て、自分がぶれずにやっていればある程度やれると思っていました。

 

■ 文武両道と“流されない自分”

二宮:ハッシーがうまくいった要因には、家庭環境もあると思います。彼は練習生契約というガンバ初の試みに選ばれた選手で、契約の際に彼のご両親にもお会いしました。そのとき、とにかくハッシーへの愛情があふれていたんです。聞けば、お兄さんはアメリカンフットボールをしていて、プロになるときには彼の叱咤激励もあったそうです。

橋本:うちの教育方針としては、サッカーでプロになるより勉強をしっかりするほうが大切だったので、中学のころの僕はサッカーで大学の推薦をもらうことが目標でした。大学を卒業するタイミングでも、両親には「就職しろ」と言われていましたし、実際に大学のゼミの先生に「就職先は紹介してやる」と言われていました。

二宮:日本サッカー協会の宮本 恒靖会長もプロ選手をしながら同志社大学に進学し、文武両道の人でした。ハッシーと宮本さんの共通点は多く、そのうちの一つは自分を見失わないことです。二人とも学生時代はサッカーができる時間が限られていましたから、タイムマネジメントができますし、人付き合いもバランスよく考えていたと思います。そういう中で、二人の共通点は“流されない自分”を持っていることだと感じます。

北川:二宮さんが協調力の面で橋本さんを取り上げている要素として「柔軟性」を挙げておられます。橋本さんは著書の中で「サッカーで全部にしない」と書いています。

橋本:僕は逃げ道を作る人間なので、経営で言えばリスクヘッジです。そうすることで安心・安全が確保でき、サッカーに打ち込めていたのだと思います。

僕がサッカーを続けるようになったきっかけは、ジュニアユースのときに長居公園で20歳くらいのお兄さんたちとボールを蹴り、自分の成長を実感できたことにあります。中学校にはガンバの仲間がおらず、ユースでは小学生の自分を知っている友達と自然体で過ごすことができました。

思えば、ガンバではミニゲームでパスをもらって「ありがとう」と言ってしまうくらい、自分の立ち位置を下に置いていましたね。そのようなことも含めて、中学生のときに経験したことが、その後の人間的な要素を整える大きな要因だったと、感じています。

(文/安藤智郎)

 
二宮 博(にのみや ひろし)
1962年、愛媛県生まれ。中京大学卒業後、生まれ故郷で公立中学の保健体育教諭として10年間勤務。1994年からJリーグガンバ大阪のスカウトとして多くの選手の発掘、獲得に携わった。その後は育成組織であるアカデミー本部長などを歴任。組織の充実などに努め、「育成のガンバ大阪」の礎を築いた。2021年、定年を前にガンバ大阪を退社し、自らがスカウトした元Jリーガー、嵜本 晋輔氏が代表を務めるバリュエンスジャパン株式会社に入社。社長室シニアスペシャリストとしてスポーツ関連事業に携わるほか、大学や企業で講演活動などを行っている。神戸国際大学客員教授。※二宮氏が直接スカウトしたサッカー日本代表選手(小島 宏美/都築 龍太/播戸 竜二/中山 悟志/宇佐美 貴史/昌子 源/鎌田 大地)

 
橋本 英郎(はしもと ひでお)
1979年5月21日生まれ、大阪府出身。ポジションはMF。ガンバ大阪のアカデミーを経て、1998年にトップ昇格しプロサッカー選手としてのキャリアをスタートする傍ら、天王寺高校から一般入試で大阪市立大学(現大阪公立大学)に入学するなど文武両道のサッカー選手として活躍。ガンバ大阪では不動のボランチとしてJ1初制覇、アジア制覇など黄金期を支えた。その後、2012年にヴィッセル神戸、2015年にセレッソ大阪、2016年にAC長野パルセイロ、2017年に東京ヴェルディ、2019年にFC今治に移籍してプレーし、2022年おこしやす京都ACに選手兼ヘッドコーチとして加入し2023年現役を引退。日本代表としては国際Aマッチ・15試合に出場。現役時代からプレーする傍ら、Jリーグ解説者、サッカースクール・チーム運営など経営者としても幅広く活動。

 
北川 信行(きたがわ のぶゆき)
1968年生まれ、広島県出身。京都大学卒。1991年に産経新聞社に入社。プロ野球阪神タイガースの担当を経て2003年から断続的にサッカー取材。W杯、欧州選手権をそれぞれ2大会現地取材。Jリーグだけでなく、女子やシニアなど幅広くカバー。日本サッカー協会公認C級コーチ、4級審判。元大阪サンケイスポーツ運動部編集委員。

二宮 博氏(Jリーグガンバ大阪 元スカウト)
橋本 英郎氏(サッカー 元日本代表)