一品もので若手の技術培う
リーマンショック、震災。数々の厳しい状況を乗り越えて成長し続ける溶接・金属加工の“下請け”企業がある。西淀川区にある、末広工業株式会社だ。
代表取締役社長の末廣隆氏は2代目。大学卒業後すぐに父が経営する同社に入社し、職人としてキャリアをスタート。一社員として働く中で、会社が進むべき方向を見極め、当時、取引先を1社に依存していた自社の企業体質を変えるべく、自身の足で営業に奔走し、十数年間で取引先を60社以上に増やしてきた。
取引先は業界・業種もさまざまだ。それゆえに、依頼される製品も多種多様。しかも、そのほとんどが最新の製造機械や特殊な精密品といった“一品もの”で、高い技術力が求められる。これらを、20~30代の若い職人を中心とした工場で生産しているのだ。
しかし、どのようにして1社依存型経営から脱却できたのか。理由について末廣氏に尋ねると、「うちは、柔軟な下請け企業を率先してやっているだけ。下請け企業の現実をずっと見てきたら、柔軟にならざるをえない。赤字の仕事でも、技術が伸びれば赤字ではない。そのかわり、社長として黒字の仕事もとってくる」というコメントが返ってきた。
高度な技術が必要な製品を担当することになった若手には、経験豊富な先輩技術者から「つくっているのは製品ではなく、自分の作品だと思え」と檄が飛ぶ。若手もその言葉を胸に技術を伸ばしていくのだろう。
「ゼロに何を掛けてもゼロ。衰退はいやだから前へ進む道を選ぶ」。リーマンショックで仕事が減った時期を社内の体質改善の好機ととらえ、ISO9001を取得し、震災直後の景気後退時期には、海外展開の準備をし、今年7月にはタイで法人を設立した。同社は、自社を取り巻く環境の変化を前向きにとらえて柔軟にチャレンジを続け、経営とのバランスをとりながら社員が成長できる仕事を選んできた。その結果、さまざまな業界から頼りにされる技術力が培われることにつながったのだ。
「宮大工のような職人集団でありたい」と語る社長が目指すのは日本一の下請け企業。若手が支える現場は、今日も活気づいている。
(大阪産業創造館 プランナー 佐藤麻耶)
▲若手社員への期待を語る末廣社長(右)
末広工業株式会社