従業員みんなが「良い人生だった」と思える会社づくりの相棒

大阪産業創造館プランナー 中尾 碧がお届けする

社長だって一人の人間、しんどい時もあります。そんな時にモチベーションの支えとなり、「一緒に頑張っていこな!」と声をかけたい“人”または“モノ”がきっとあるはずです。当コラムでは社長のそんな“相棒”にクローズアップ。普段はなかなか言葉にできない相棒に対するエピソードや想いをお伺いしました。
 

【 vol.14 】勝井鋼業株式会社 ~従業員みんなが「良い人生だった」と思える会社づくりの相棒~

 
今回の勝井鋼業株式会社社長の小島氏の相棒は、同氏と試行錯誤しながら現在の同社のものづくり企業としての形態を作り上げてきた3名である。3名とも入社するまで違うキャリアを積んできたが、小島氏自身も実は入社するまでは全くの未経験だった。

学卒後、東京でシステムエンジニアとして働き、結婚を機に義実家が経営する同社に入社した。当時の同社は2代目である義父1人が営む小さな会社で、事業も今のような製造業ではなく卸売的な立場だった。

 
小島氏は未経験のため取引先で3年間修業することになった。マシニングセンター、製品組立など、ものづくりのノウハウを丁寧に教えてもらった。一緒に汗を流した同じく修行する仲間とは今でも良い関係が続いている。

一方で小島氏の入社により当時の社長の中に、これからの会社運営へ前向きな気持ちが芽生えた。それまではほぼ卸売業だったが、新しい機械を導入するなど、現在のものづくり企業としての素地を作りつつあった。

 

右から代表取締役 小島広臣氏、工場長 吉田直人氏、製造部第2課課長 辻岡祥平氏、製造部第3課係長 高橋則行氏

 
修行先から小島氏が戻り、しばらくは組立作業を主としていたが、修行先でものづくりの大切さと達成感を学んだ小島氏の意向で、加工用機械を購入してものづくり企業への転換を進めた。しかし当時の体制は小島氏を入れて5名。機械4台を小島氏1人が担当する状況が続き、体が持たないことは明白だった。

その時、初めて募集をかけて小島氏自身が採用を決めたのが、1人目の相棒である吉田氏だ。吉田氏も修行先で異形材加工の技術を学び、今の当社の加工部門の基礎を担った。

そして2008年には新卒採用も行い、後に2人目の相棒となる辻岡氏が入社した。

2009年に小島氏が社長へ就任。リーマンショック直後だったが、小島氏が新規開拓や現場作業に集中できるよう、先代が事務面など社長の仕事の一部分を当面引き受けたおかげで、小島氏自身の気持ちは楽だった。

小島氏自身、社長として勉強や研さんを続けるうち、1社依存体質の危険性や現場改善への自社の課題も見えてきた。そこで、会社として3s活動に取り組むことに決めた。

それまで経営理念や朝礼や会議でさえも無かったが、この取組を機に吉田氏に品質、辻岡氏はコスト管理、そして相棒の中で最後に入社した高橋氏に納期管理とリーダー職を割り当て、普段の業務もこなしながら目標達成のための案を出し合ってもらった。

小島氏が決めた3Sの取組には、課題解決以外に3人の育成という目的もあった。当時社内の高齢化も問題となっており、若手を育てるリーダーが必要だった。また、そろそろ小島氏自身も社長としての業務に集中する必要があった。

当初は周囲からの風当たりも強かったが、3人を中心に試行錯誤を重ねて求心力を高めた結果、次第に能動的な従業員が増え、「会社を良くしたい」という意見が社内から出てくるようになった。

また、3人の意識も変わり、人の動かし方や自信が身に付き、小島氏との意見交換や自発的な動きをするようになり、今では文字通り小島氏の“相棒”となっている。

 
仕事は人生のほとんどの部分を占めるからこそ「この会社で良かった」と従業員が思う「皆の会社」にしたいと小島氏は言う。

2人だけの小さな会社から、ものづくり企業へと変わり、3人の心強い相棒を得て社内の結束を固めてきた。皆でめざす良い会社づくりへの取組はこれからも力強く続く。

 
(取材・文/大阪産業創造館マネジメント支援チーム プランナー 中尾 碧)

2021年01月21日
勝井鋼業株式会社
代表取締役  
小島 広臣氏
事業内容/エアツール部品の機械加工および製品組立、精密機械部品の旋盤加工等

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