ポンプ本拠地の欧州へ、攻めの海外展開
1995年、インドネシアに工場設立&欧州へ販路拡大
自動車のエンジン部品などを製造するナカキンは1995年、インドネシアに100%出資の工場を設立した。その目的を中村氏は、「グローバル化する日本の製造業の流れを踏まえ、世界を見据えた生産体制を構築するための海外戦略の一環だった」と振り返る。
進出先としてインドネシアを選んだ理由の一つは「人」だ。当時、インドネシアの研修生を日本の工場に3名受け入れており、働きぶりに好感が持てた。「その彼らを海外進出時に活用できないかと考えたのです」。進出直後の現地工場の社員数は10~15名。それに対して現地駐在の日本人は2名のみ。「日本で経験を積んだ研修生をインドネシアに送り込み、現地のワーカーと日本人の橋渡し役として活躍してくれたので、日本人スタッフは少なくて済んだ」という。
進出当時は文字通り「生産拠点」として自動車関連部品を現地で製造し、日本に輸入していた。しかし次第に現地で評判が広まり、インドネシアに進出している日系企業からの引き合いが増加。いまでは大半が現地の日系企業の仕事だ。
同社は自動車関連部品に加え、自社ブランドとして食品・医薬品・ファインケミカル用のサニタリーロータリーポンプも手がける。1973年の発売以降、飲料・食品メーカーなどから支持を得て、現在の国内シェアは実に6割。このロータリーポンプについては30年前からヨーロッパ市場の開拓に力を注いできた。
インドネシア進出と共通するのは攻めの海外戦略である点。「ロータリーポンプはヨーロッパが発祥。当社のポンプが本場で通用するか試すのが目的だった」と力を込める。
とはいえ、海外では無名の日本の会社が欧州市場を独自に開拓するのは容易ではない。「そこで私たちは欧州のユーザーや代理店に直接アポを取り、地道に訪問を重ねたのです」。英語のできる社員をかき集め、まずオランダから営業を開始。しかし最初は相手にされず、成果が出ない時期が続いた。
転機は5年後にやってきた。地道な営業活動が実り、ドイツの代理店が同社製品を販売してくれたのだ。これを機に欧州の顧客に認められ、ドイツを中心にオランダ、スウェーデン、フランスなどに販路を広げている。
「当社のポンプが欧州で受け入れられた理由、それは徹底した顧客志向にあるのでは」と分析する。欧州メーカーは顧客の要望を聞き入れる意識に欠ける中、同社は顧客ニーズに耳を傾け、きめ細かく対応する万全のアフターフォロー体制で応えたのだ。「日本で築いた製品づくりとアフターサービスは海外で通用する、そう確信しました」と自信を見せる。
今後の展望について、まず自動車関連部品についてはインドネシア工場を拠点にアジアのモータリゼーションの波を捉え、事業拡大をめざす。一方のロータリーポンプについては欧州での実績を足がかりとして、先進国を舞台に販路拡大を図る考えだ。
▲ロータリーポンプの一貫生産体制を築いているのは同社のみ。徹底した工程管理で高品質を実現。
▲350人規模を誇るインドネシア工場。高品質・低コストの製品づくりで高い支持を得る。
▲年に数回、海外の展示会に出展。ヨーロッパを中心に「ナカキン」の名が世界に浸透しつつある。
株式会社ナカキン
取締役副社長
中村 好孝氏
設立/1964年 資本金/8,400万円 従業員数/392名 事業内容/創業以来培ってきた金型・鋳造技術をベースに、サニタリーロータリーポンプを手がける。産業精機事業、自動車用エンジン部品などを製造する軽合金事業、ものづくりの現場を支える金型事業の3つを柱に事業を展開。