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肌身で感じた 脅威をばねに めざすは世界一

2014.11.10

東京の渋谷ヒカリエや梅田のグランフロント大阪など高級ブランドのショップが集まる商業施設を見渡すと、そのうち半数ほどの店舗のサインをダイカンが手がけていることがわかる。

その地位を揺るぎないものにしたのは2002年。それまでの金属製サインを樹脂製に置き換え、品質とコスト競争力を兼ね備えた商品を開発したことだ。その後、ハイエンドのブランドに特化し、しかも「品質が理解され、お金を投じてもらいやすい、目線の高さにあるサインに集中する」戦略で業績を伸ばしていった。

海外市場への挑戦は、英語が得意だった仁義氏にとって早くからの目標だった。「ハイエンドの顧客は市場の1%ほどと限られているが、市場を世界に向ければ可能性は一気に広がる」との思いもあった。1996年以降英語版のホームページやカタログをつくると少しずつ反響が出てきた。2006年、腕試しにオーストラリアの展示会に出してみると“日本品質”に確かな評価を得て自信を得た。その後、アメリカの高級宝飾店からの受注も東獲得する。

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だが、従業員の間に海外事業への関心が芽生える気配がいっこうにない。世界に目を向けさせるためにベトナム人の研修生を受け入れたが、それでも聞こえてくるのは「研修生を受け入れて何になるのか」という声ばかり。

そのころには仁義氏が考える海外事業の意味は大きく変わってきていた。世界各国の展示会を回っていて膨らんできたのは「品質だけでなく、価格も世界レベルでなければ戦えない。もし海外勢が日本に攻め込んできたらひとたまりもない」という危機感。社内からの反発を説き伏せ、2010年には「価格と品質を両立させる」ベトナム工場を立ち上げた。

5S活動を始めれば「僕たちは掃除をしにきているのではない」と言われ、経理担当者に梱包の仕事も手伝うようにいうと「これは私の仕事ではない」と返された。そんな時、仁義氏は諭すように伝えた。「あなたはベトナム人、ぼくは日本人、でもここで働いている人は“ダイカン人”だ」と。香港の展示会に毎年出展しダイカンの認知を広げていくことでベトナム工場の収益は倍々ゲームで伸びていった。

2012年7月の経営発表会。「国内市場はこれから縮んでいく。ベトナム工場が防波堤となっている間に日本の工場もコスト、スピードを見直さないとグローバル化の中で生き残れない」と奮起を促した。この春、中国の同業メーカーの視察から帰ってきた社員たちは1日12時間以上働いて必死にものづくりをする中国メーカーが虎視眈々と日本市場を狙っていることを知って、目の色が変わってきた。

「東京五輪を境に国内市場は冷え込むだろう。それまでに中国企業と戦えるコスト競争力を築き、五輪後に世界に一気に出て行く」ときっぱり。めざすは「スピードと品質で世界一」だ。

これまでに実際に納入したLEDサイン類が一堂に並べられているショールーム。

これまでに実際に納入したLEDサイン類が一堂に並べられているショールーム。

ベトナム工場のスタッフ

ベトナム工場のスタッフ。

香港にある駐在事務所

香港にある駐在事務所。

三谷幸喜監督作品の映画ではサイン類全般の製作を任された。

三谷幸喜監督作品の映画ではサイン類全般の製作を任された。

(取材・文/山口裕史)

株式会社ダイカン

代表取締役

仁義 修氏

http://www.daikan.ne.jp/

1964年の創業来、サイン業界で素材や表現方法で常に新しい商品を送り出してきた。特にハイエンドのブランドで強みを発揮している。