「これで正解やった」と思える未来を信じて
東京でネイルサロンを経営し、多忙ながらも充実した日々を送っていた。嫁いだ先は、茨城県ひたちなか市で複数の大きな保育園を営む名家。同市内に新居を建て、長男に続き第2子を身ごもった。だれもがうらやむような幸せの絶頂の矢先、田中氏は兄弟さえも投げ出した実家の町工場を引き継ぐ決断をくだす。
新居も売り払いすべてをなげうってあえて選んだ茨の道。そこまでさせたものは、すぐれた技術をなんとか守りたいという思いと、その強い思いを受け止め、後押しした夫・芳洋氏の理解だった。
東福鍛工が手がけるのは、フリー鍛造という鋼材加工技術。約1200度の炉で熱せられた重量数トンの鉄塊を、手作りの鉄製道具を取り付けた大型プレス機で上下から押しつぶしていく。変形した濃橙色の塊はフォークリフトの先につけられたアームによってプレスする位置を変えながら設計図通りにさらに成形がほどこされていく。周囲を叩いて真円に近い形にすることもあれば、軸の中心が異なる偏心クランクのような複雑な形状をつくりあげることもある。フリー鍛造でこれだけ大型の鋼材を扱える工場は全国でも数えるほどしかない。
田中氏は兄と弟に挟まれて育った。兄、弟ともに入社し、継承は磐石のはずだった。だが、ネイル業界で果敢に事業を広げていった田中氏にとって、里帰りした時に目の当たりにする会社の様子はもどかしくてならなかった。「売上げがどんどん減っているのに父は運が悪いと言うだけで一切営業に出ようともしない。この会社があって私は食べさせてもらい、成長させてもらったと思っているので、いてもたってもいられなかった」。
ネイルの仕事の合間に時間を作って大阪に戻り、売上げの大きい先から訪問して回った。訪ねた先の社長から「東福さんはこの業界ではナンバーワンやった」「先代のおかげで今こうして仕事をしていられるんや」と懐かしがる声を多く耳にして「この会社を守らなければ」という思いはますます募った。
肝心の兄はと言えば「継ぎたくない」の一点張りで、逃げの姿勢は社員の士気にも悪影響を与えていた。さらに頼みにしていた弟が「この会社に未来はない」と捨て台詞を吐き、去っていった。後に残された社員の動揺は計り知れない。
「今の幸せは続けたい。でも早く対処しなければ従業員も離散してしまう」。そう逡巡する田中氏を見かねて芳洋氏が言葉をかけた。「それなら二人で行こう」。その言葉に何より驚いたのは田中氏だった。「調べれば調べるほどすごい技術。この会社がなくなったら日本のためにも困ると思った。保育園は任せる兄がいたので」と芳洋氏はその時の思いを振り返る。決意をするや、ものづくりの現場にすぐに溶け込めるように2人で重機の運転免許を取った。
2015年12月。2人が飛び込んだ世界は想像以上に厳しく、現場では社員同士が胸ぐらをつかんでケンカをしていることもあった。決算書を見れば言い値の仕入れで無駄な経費が見つかった。「会社が一体誰のために仕事をしているのか見えず、どこに進もうとしているのかも示されていなかった」と田中氏。
田中氏は営業など対外的な業務を担当し、芳洋氏は現場に入って社員と一緒に汗を流すとともに仕入先や金融機関との交渉ごとを担当した。何より重んじたのは、むだを排除し内部を固めること。不要なブローカーは排除してメーカーとの直接取引を増やし、月間9千万円近く要していたガス代を半分に抑え、外部に委託していた清掃業務は社員で行うことにした。
こうして生み出された資金を社員の給与アップに回し、宿直を廃止するなど労働時間を短縮し、社員が家族と過ごせる時間を増やした。社員一人ひとりの思いに耳を傾け、不満を洗いざらい吐き出してもらった。社員同士の不公平感、休日が少ないことなど、出てきた要望に対処した。働き甲斐が感じられるように、意識改革のためのセミナーも1年をかけて実施した。
大なたを振るう先にいた最大の抵抗勢力は「両親だった」と田中氏。ことあるごとに「余計なことをするな」「お客さんが困るやないか」と反発された。「(茨城に)帰れ」と言われ大げんかをしたこともある。「両親にとっては自分たちがやってきたことを否定されることだからつらいこと。でも、すべては会社をよくするためにやっていることだからと辛抱強く伝え続けている」。
少しずつ社内の雰囲気が明るくなり、利益も少しずつ増えつつあるという手応えも感じている。今年8月に迎える決算期が「答え合わせやね」と二人で話している。
夫との間でもけんかは絶えない。穏やかな暮らしを続けていればよかったという後悔がないかと言えばうそになる。「私はこの会社に来る運命やったんやなと思うし、二人だからこそできるんやと思ってる。5年後、10年後にこっちへ来て正解だったねって言えるようにがんばろう、が今の合言葉」と二人顔を見合わせる。
日々、自らを奮い立たせながら、ものづくりの道をまい進する。
(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)
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