社長にならな変えられへんで
給料は手取りでせいぜい14万円。「嫁さんとはお金のことでしょっちゅうけんか。せめて50万稼いで、中古でいいから外車に乗りたいとか、そんなことばかり考えてました」。阪井氏はひたすら飛び込み営業を続けていた専務時代を振り返る。
窮状を脱したい、となけなしの金を集めて経営塾に参加したのは5年前のこと。みんなの前で「とにかく仕事ください」といきなりプレゼンをしてひんしゅくを買った。参加者の一人だったホーム株式会社の大薮社長が見かねて声をかけた。
「お客さんを紹介することはできへんけど、一緒にビジネスモデルを考えよう」。
以来2年間、毎週金曜日の朝に自転車で大薮氏の会社へ通った。「海外の調達先を開拓したい」「HPをリニューアルしたい」「スタッフを雇いたい」。
やるべきことがだんだん明確になっていったものの、どれも相当な投資が要ることばかり。叔父である社長が首を縦に振ることはなかった。
「いろいろ説得してみましたがやっぱり難しいです」。そうこぼした阪井氏に大薮氏は言い放った。「そらそうや。自分が社長にならな変えられへんで」。数千万円ある債務がきれいになるまでは、と世代交代に腰が引けていた阪井氏はそこで覚悟を決めた。
2012年に社長に就任。やりたかったことを一つずつ実行していく。中でもベトナム人のザンさんを社員に迎えたことが大きな転機になった。「日本とベトナムの橋渡しをするような仕事をしたいという彼女の思いを聞いて、自分の欲だけで仕事をしていたらあかんのや、と」。
また、クレーム対応で疲弊していた従業員の姿を見て、価格だけを追わず、品質重視に転換を図り、品質管理、検品体制の充実を図った。毎週金曜日の朝に自転車をこいでいたあの頃から売上げは倍増、従業員は2倍に増えた。
いつしか、目標は自分の給料を増やすことから会社を成長させることへと変わっていた。
(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)