和菓子6代目 攻めと守り継承
大阪・難波の地で、1858年の創業から150年以上、伝統を守り続けてきた株式会社浪芳庵(なみよしあん)(大阪市中央区)。現在暖簾(のれん)を守っているのが6代目当主の井上文孝氏だ。
現在の道頓堀の西の端にあった浪芳橋のたもとで初代が焼き餅の販売を始めたのが同社の創業である。以降、焼菓子やまんじゅう、生菓子など商品を増やし、和菓子屋としての基礎を築いた。1945年の大阪大空襲での店舗の焼失、戦中・戦後の材料不足、バブル崩壊時のメーンバンクの経営破綻など、苦しい時代を過ごしたこともあったが、営業を続けられたのは、地域の人々をはじめ、多くの周囲の人々に支えられたからであり、地元・大阪に根ざす心も暖簾とともに受け継がれている。
井上氏は3人兄弟の次男で2011年に後を継いだが、他の兄弟も含め、父である5代目から家業を継ぐことについて何かを言われたことはなかった。家業を意識し始めたのは、大学時代の飲食店でのアルバイトで客商売の楽しさを感じ始めた頃からで、卒業後はチョコレートメーカーに就職。約4年半で百貨店での販売や営業を経験した後、家業に入ることを決意した。
家業に就いた井上氏には「若い人にも食べてもらえる和菓子の販売」「浪芳庵を多くの人に知ってもらう」との思いが強くあった。そこで始めた取り組みが、昔からの味と製法に新たな改良を加え、現在同社の看板商品の一つとなった『みたらしとろとろ』の開発と、前職の経験を生かした百貨店への進出である。この取り組みは、百貨店での和菓子部門の売り上げで常に上位に位置するなど、井上氏の思いを少しずつ実現している。
また、そこで止まることはせず、商品の開発・改良はもちろん、書道や和菓子の教室を行う学び庵の設立、子供向けイベントの実施など、地域で、特に若い親子向けの取り組みを続けている。
「お客さまにおいしい和菓子を食べていただくためには、製造や放送、接客など、一つ一つの作業・行動に意味がある。その意味を考え、お菓子を食べる人のことを思い、目の前のお客さまに全力を尽くすのが浪芳庵」。井上氏が先代から教えられ、また同社で働く人々に伝え続けていることである。「受け継いだ暖簾を7代目に渡すことが自分の使命」とする井上氏のチャレンジはこれからも続く。
(大阪産業創造館 プランナー 荒井祐己子)