インドでつかんだ可能性 冷間鍛造金型で挑む世界への道
「36年間培ってきた冷間鍛造金型づくりの経験とノウハウが未知の世界で通用するか試してみたかった」。枚岡合金工具株式会社代表の古芝氏は5年前にインド市場に打って出ようと決めたときの心境をこう語る。60歳の時のことだ。
海外に目を向けるきっかけになったのは、災害時にも金型の供給を絶やさない体制を築くため、10年前に台湾の金型メーカーと取引を始めたことだった。台湾メーカーは国内市場が限られているため、市場を海外に求めざるを得ず、中小企業でも当たり前のように貿易担当者を置き、海外市場に目を向けていた。「人口減少が進み、ものづくりの担い手がいなくなる日本の中小企業もいずれ海外に目を向けざるを得なくなる。ならば早いうちに海外市場を開拓する必要がある」と考えた。ターゲットに据えたのはベトナムでもインドネシアでもなく、インド。「我々のような従業員27人規模の会社はどこも進出していない。だからこそ先行者利益も狙えるし、チャレンジのしがいがあった」。

代表取締役社長 古芝 義福氏
初めてインドを訪れたのは2020年2月。海外営業の経験なし、知り合いなし、英語力もない中、まずは現地で開催される自動車業界の展示会に出向き、そこに出展する鍛造部品メーカーに自ら営業をかけようと単身乗り込んだ。スムーズなやりとりを考え、相手の分も含め2台の携帯型翻訳機を持ち込んだが、訛りが強い英語では翻訳が難しいとわかり、すぐに通訳を手配した。現地で驚いたのは、展示会へのインド人ビジネスパーソンの熱量の高さだった。「とにかくどのブースもごった返していて、商談に臨む姿勢やエネルギーを強く感じました」と振り返る。
その熱気に背中を押され、同年11月、単独で出展者として参加した。以降の出展はJETROのサポートを受け、総合商社出身でインド駐在経験のある人を紹介してもらい同行してもらった。展示会終了後には、引き合いのあった企業へすぐにアポイントを取り、現地に出向きプレゼンを行った。

展示会では現地の大学生の協力が欠かせず、コミュニケーションを大切にしている。
当初は、日本から現地に高品質の金型を輸出するビジネスモデルを描いていたが、「インドはとにかく価格にシビア」であることがわかった。そこで、鍛造解析ソフトを活用した最適な設計や加工シミュレーションを提案したうえで現地の金型メーカーに保有する設備に見合う技術供与を行い、そこで製造した金型を販売するビジネスモデルに切り替えた。今年からはインド人社員も採用、営業を強化している。まだ売上げは大きくないものの、大手ローカルねじメーカーとの口座開設にこぎつけるなど、着々と前進している。

今年入社したインド人社員のカトパリア・ディーパンシュ氏は、インドの代理店との連絡業務を担当している。
道に落ちている牛糞、スキミング被害、ロストバゲッジ…。インドでは一瞬たりとも気を抜く暇はない。「はじめはインドが異常だと思っていましたが、最近は日本の快適さが異常に思えてきた」とすっかりインドになじんだ古芝氏。5年間通い続けて感じるインドの魅力は、ヒンディー語で「独創と機転から生まれる即席の解決法」という意味の“ジュガード”の精神だ。「逆境を楽しみ、機転を利かせるたくましさとでも言ったらいいでしょうか。日本では忘れかけていた精神を、呼び覚ましてくれるような気がしています」。
インドでのビジネスは「ようやくふもとにたどり着いたところ」。だが、いずれは現地金型メーカーの技術レベルを上げ、インドと日本が手を組みヨーロッパ市場に売り込んでいくつもりだ。「生涯現役」を宣言する古芝氏のチャレンジはまだまだ続く。
(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)