商品開発/新事業

夏のヒットは“昔ながらのロングセラー”に学ぶ「当たり前」を再定義した企業の底力

2025.06.24

やっぱり流行の最先端を追いかけたい!と思いつつも、大阪で仕事をしていると大阪発の“昔ながら”のものについつい手が伸びてしまう。
この夏、あらためて目を向けたいのは、そんな“昔ながらのロングセラー”を作ってきた企業たち。そこにはヒット商品を生み出すヒントが詰まっているはずだ。

■ 冷房より先に、日本を涼しくしたもの

夏が来るたび、私たちはなぜか「懐かしさ」に引き寄せられる。かき氷、風鈴、縁側、そして……ソフトクリーム。

その“夏の定番”を、日本で初めて本格的に広めたのは、大阪に本社を構える日世株式会社だ。
まだ冷房も普及してなかった1951年。日本で初めてソフトクリームの販売を開始した。

かけそば一杯15円の時代にソフトクリームは一つ50円。当時の日本人はあの白くて冷たい甘味を口にした瞬間、その口福に震えたのは想像に難くない。

高級感あふれるデザートはじわじわと全国に浸透していった一方、戦後の混乱期には原材料の調達が追いつかず、注文を断らざるを得ない日々が続いた。そこで同社は、その供給難を解決するために原材料の自社製造に踏み切るという思い切った投資を行なった。以来70年以上、ソフトクリームは「日本の夏」に欠かせない存在となっている。

 

■ 今日もどこかで泳いでる、あの醤油の魚

当たり前のようにそこにあるもの、それはいつも誰かの物語から始まっている。
お弁当にちょこんと添えられた、あの魚の形をした醤油差し。
ユニークな見た目に目を引かれるが、あれを作ったのは同じく大阪に本社を構える旭創業。
当時の醤油差しはガラスや陶器が主流で、持ち運びには不便で割れやすかった。
そこで同社は「ポリエチレンでつくれば、安価で安全。しかも消耗品として売れるはず」と、今までの“当たり前”をひっくり返した。

「ランチのお供にぴったりなチャーミングな魚だから、“ランチャーム”と名付けたんです」と社長が教えてくれたとき、正直、これが“ランチャーム”だと即答できる日本人がどれだけいるだろう?と思った。それくらい、あの“魚の醤油差し”は名前を知らなくても、私たちの生活にすっかり溶け込んでいるロングセラーなのだ。

 

■ 当たり前が続くのは、当たり前じゃない努力の賜物

“昔ながら”を活かしながらも、“当たり前”を再定義する視点。
それは食品に限らず、表現の世界でも同じことが言える。
大阪・堺市にある前田製菓。
「当たり前田のクラッカー」といえば、どこか懐かしさを感じさせる、昭和から令和まで愛されるロングセラーだ。
この会社が一躍知られるようになったきっかけのひとつが、あの印象的なテレビCM。
だが意外にも、あのCMは“戦略的”に仕掛けたものではなかったという。
「うちには似合わない」と当初は社長もためらったほどで、地道な姿勢を大切にする社風の中、思いがけない挑戦だった。

当然、CMの力だけで半世紀もの間支持されるほど世の中は甘くはない。
前田製菓の真髄は、その裏で積み重ねてきた数々の試行錯誤にある。

毎年4~5種の新商品を市場に送り出し、その陰で20~25もの試作品がボツになる。それでも「チャレンジをムダと考えず、どんどん挑戦せよ」と背中を押してきた歴代社長の姿勢が、同社の“当たり前”を育んできた。

最近では、健康志向を捉えたヘルシーな菓子や、防災用クラッカーの開発など、社会の変化にもいちはやく対応。中心となるのは20〜30代の若手社員たち。100年企業でありながら、今もアップデートを続けている。

 

■ “昔ながら”が、いちばん新しかったりする。

トレンドに敏感であることはもちろん大切。
でもこの夏、ヒットを生み出すために必要なのは“まだ誰も知らない何か”ではなく、
“みんなが知っているのに見過ごしている何か”かもしれない。

どこにでもあるものに、もう一度じっくり目を向けてみる。
ソフトクリーム、醤油差し、クラッカー。

どれも目新しさはない。けれど、そこには誰かの気づきと、挑戦が詰まっている。
ロングセラーとは、ただ生き残っているだけのものではない。時代は変われど、人々から変わらず受け入れられているものだ。

“昔ながら”という言葉の奥には、それらのヒントが眠っているかもしれない。

(執筆/気づけばクラッカーを食べながら、執筆していたBplatz編集部)