【長編】「おもろいこと」に絞り、起死回生
3年前に借金が1億円にまで膨れ上がった。「どうせつぶれるならおもろいことを」と濱本氏はもともとの本業である内装工事業からすっぱり足を洗い、赤字の壁紙販売業に絞り込んだ。そこから起死回生のドラマが始まる。常に大事にしているのは「おもろいかどうか」だ。
〉〉〉2000年に現在の壁紙販売をスタートしたとのことですが、きっかけは?
もともと下請けで内装工事をしていまして、僕も職人をしていました。ある時、工事現場で知り合った電気屋さんから、「のりのついた壁紙がほしい」と言われまして。現場用の機械でのりを塗って渡したら、うまく貼れたと聞いて、これは商売になるんちゃうかと。それで、南堀江の家具屋街のど真ん中に3坪の事務所を借りて、のり貼りの機械を特注で作ってもらって、大手から壁紙を仕入れてのりを貼って売るお店を始めました。店の中にA4の大きさの壁紙のサンプルを貼りまくって「自分ではれる壁紙販売中」って大きく書いて始めたんです。でも、お客さんは誰一人来ませんでした。南堀江といっても、今のようににぎやかになる前で、家具屋がどんどんつぶれてシャッター街になっていたころの話です。
〉〉〉同時にインターネットでも販売を始めた。
昼間はお店に出て、夜にホームページをつくる作業をしていました。独学でHTML、CGIの勉強をしてフリーソフトをかき集めて何とかサイトを作りました。当時はまだネットの回線が遅くて、1枚の画像をページに上げるのに要する時間が1時間。ひと晩でやっと8枚ですから、1枚あげてはまた寝て、みたいな感じで。
〉〉〉しかし、壁紙の販売というのは商売になったのでしょうか。
当時は国内メーカーの商品だけを扱っていました。カタログの写真をひたすらスキャンしてとにかく量で勝負しようと。そのうち壁紙だけでなく雑貨や家具なども扱うようになり、つれて売上げも上がっていったのですが、あるところまで行くと頭打ちになってしまいました。必要な人件費などを差し引くと毎月の赤字は200万円。その赤字をなんとか内装工事のほうの利益で穴埋めしてはいたのですが、いつの間にか借金が1億円まで膨れ上がっていました。
〉〉〉1億円ですか?
それ以上お金を借りようとしても銀行からは門前払い。さすがにこれはつぶれるな、と思いました。どの道つぶれるんやったら、最後おもろいことをしてやめよう、と。それで、当時7億円あった売上げのうち4億円を稼いでいた内装工事業をすっぱりやめて、壁紙をネットで販売する事業に絞り込むことにしました。
〉〉〉内装工事のほうはおもしろくなかった?
内装工事のほうはうちがやらんでも回る仕事ですからどうしたって価格競争になる。ほとんど利益が出ないところへ、クレームの後処理などの対応を考えると結局こちらも赤字というのが実態で、まったくおもんない。壁紙のネット販売の事業部とは全く意思疎通もありませんでしたしね。
クレームの原因ももとをただすと職人どうし情報が共有できていないがために、聞いた、いや聞いていない、の話になって。掲示板を使って連絡取り合って情報をやり取りしたら、とアドバイスはするけれど誰もやろうとしない。壁紙事業部のほうはそういう情報共有を当たり前のようにしていましたからね。それで組織を一緒にしようと考えました。
それで、内装工事を担当する職人たちに、「うちは壁紙専門店になる。お客さんからもらった壁紙を貼りに行く工事は残すが、あくまでもサービス業。言葉づかいもあらためてほしいし、金髪も禁止」と伝えました。そうしたら、10人全員が辞めてしまいました。「サービス業といわれてもようわからん」と。
〉〉〉壁紙事業部のメンバーの反応は?
もう半年分のキャッシュフローしか手元に残っていませんでしたから、そのことをそのまま正直に伝えました。「半年分の給料しかないけどやってくれる?」って。こちらは皆残ってくれました。
それから「世界一の壁紙屋になろう」と決めて、本気で世界の壁紙の情報を調べまくりました。そのために中国人とフランス人のスタッフも雇い入れて。調べてみてびっくりしました。日本の壁紙の市場とは大違いです。欧米では壁紙のある生活を当たり前のように楽しんでいるので、ありとあらゆる壁紙がそろっているんです。
日本の輸入壁紙の流通は商社、内装問屋、工務店を経て最終のお客さんに行きます。商社はお客さんに奨めやすい壁紙しか持ってこないので、白だったり無地だったりの無難な壁紙しか仕入れません。そのフィルターのせいでせっかくのおもろい壁紙がぜんぜん入ってこなかったんです。そこで、国内で流通していない欧米のメーカーに片っ端からメールを送って、日本で売りたいと言うことを伝えていきました。
ECサイトも単に量だけそろえていたのを見直しました。どうしたら売れるんだろうと考えていたらある晩ひらめきましてね。夜中事務所に行ってカタログに載っている壁紙をすべて切ってテイストごとに分類していったんです。売るターゲットを明確にして、その人たちのための商品が見つかりやすいようにしようと。それから2011年12月に「WALPA」を立ち上げて、輸入壁紙に特化していきました。
〉〉〉借金の返済もあって大変だったのでは?
銀行を説得するために事業計画書を初めて書いたんです。それで半年後には絶対に黒字にしますから、と。そうしたら銀行の担当者が「社長、払わんでもええんちゃいますか。しばらく返済は止めましょう」と、2年間返済の支払猶予をしてくれたんです。初めてですね。あんなこといってくれた銀行の人。いい人すぎて、飛ばされちゃいましたけどね。それで、ちょうど半年目の月に売上げが損益分岐点の3750万円を超えることができました。
〉〉〉よくしんどい時期を乗り越えられましたね?
しんどいと思ったことはありません。いろいろな壁紙があることを知って、その中から売りたいと思う壁紙を選んで、現地を訪ねて交渉して、WEBに載せるのに商品撮影して…。
すべてがやってておもろかったんやろね。社員は3年前の17人から45人にまで増えましたけど、採用する時に必ず聞くのは、壁紙がほんまに好きかという一点だけ。入社してから半年ごとに行う面接でも、やってておもろいか、ということを聞いています。
〉〉〉淡々と話されるし、苦労を苦労と感じさせないところがあります。
この7月、東京の店舗を恵比寿に移転しオープニングパーティーをしてたくさんの方が来てくれました。思えば13年前に南堀江で初めて店を出した時には誰にも相手にされなかったのが、時間を経て、この壁紙をほしいという人がここでしか買えないから、とたくさん集まってくれるまでになった。180度世界が変わったわけです。もう大泣きしてたんですよ。
〉〉〉これからの目標を
2020年に世界一の壁紙屋になります。世界一がどこなんかわからんけど。メーカーでも、ブローカーでも、輸出入業でもない、うちでしかできないことをやりたい。まだまだ埋もれている壁紙が世界にあって、それを見つけて世界の人に提供していきたいと思っています。