【長編】波乱万丈の人生の先に見えてきた「経営の目的」とは?
従業員の大量退職が続き、戦力をほとんど失った。「なぜ人が辞めるのか」――そう自問自答する中、従業員から突きつけられたのは、「この会社にはビジョンがない」という言葉。このひと言で我に返り、経営の目的を改めて見つめ直した。求心力を高めるために企業理念を練り直し、売上追求から「人を大切にする会社」に転換。波乱万丈の人生から得た「経営の目的」とは?
〉〉〉起業した経緯は?
18歳で田舎から大阪に出てきた私は「自分は何になりたいのか」がわからないという、いわゆるモラトリアム症候群の典型的な状態でした。そこで、とりあえず学生時代にバレーボールをしていた関係でスポーツ関連の仕事に就き、働き始めたんです。
その職場で妻と出会いました。妻は起業する際にも大変力になってくれたのですが、付き合いを始めた当時、生涯忘れることのできない経験をさせてしまいました。19歳で車を購入し、妻を助手席に乗せてドライブをしていたところ、電車の接触事故を起こしてしまったのです。幸い2人とも一命は取りとめましたが、損害賠償がわが身にふりかかりました。自業自得とはいえ、自分一人で返せる額ではありません。そこで運送会社の社長をしていた叔父を頼り、トラックのドライバーをすることになったんです。私が物流関係の仕事をするようになったきっかけです。
運送会社には計8年在籍し、前職の社長と叔父の協力もあって賠償金を完済。その後、別の運送会社に転職し、引き続き運送業務に従事することになりました。その会社では常務取締役にまで昇格しましたが、バブル経済が崩壊した1991年に会社が倒産。突如として路頭に迷うことになりました。
倒産前には給料の未払いもあり、妻と2人の子どもの4人家族を養うための生活資金に窮する状態に陥りました。しかし当時の私の立場上、残された従業員の就職斡旋をはじめとした残務処理をしなければならず、自分の生活を優先して考えることはできませんでした。結局、ひと通りの整理が終わった頃には、生活が立ちいかなくなる寸前の状況にまで追い込まれていたんです。
当時すでに37歳。再就職して一からやり直すか、いちかばちかで起業するか――そう葛藤しながらも、実際には、再就職しても給料をもらう前に生活が破綻する状況が目に見えていました。まさに崖っぷちの中、ある取引先の社長さんが「お前、自分でやってみひんか」と背中を押してくれたんです。そのひと言がきっかけとなり、物流関係の仕事で起業することになりました。
〉〉〉生活資金もない中でどうやって事業を始めたのですか?
父親に泣きついて運転資金を融通してもらいました。さらに、同業の運送会社の社長さんが「社長室を事務所として無償で使っていい」と言ってくれて。無償では申し訳ないので、トラックの運送業務を手伝うなどして体で返し、さらに日当までもらうことができました。
こうして何とか事業のスタートを切った際、前職から付き合いのある倉庫会社から、大手メーカーの物流業務請負の仕事を紹介してもらったんです。物流業務請負というのは、倉庫内での受発注管理や在庫管理、あるいは商品の仕分けや値付け、梱包といったバックヤードの業務全体をさします。依頼を受けた倉庫では「値付け」「商品のピッキング」「梱包」の3つの業務があり、私は値付けを任されることになりました。幸い、前職の運送会社でもそうした業務の経験があり、請けることができたんです。
しかし私は事務所を間借りしている運送会社の仕事があります。そこで妻に頼んで倉庫に入ってもらい、物流業務を担当してもらうことになりました。妻にもそうした業務の経験があり、即戦力として働くことができたからです。
一般的に物流業務は多忙を極める職種の一つとして知られています。とりわけお春夏物や秋冬物の商品入れ替え季節は倉庫へ入庫される商品量が拡大し、たちまち現場は混乱します。そこで大量の人員を投入して乗り切るわけですが、慢性的に人手不足に悩んでいるのが物流業界の悩みなんです。
妻が出向した現場もそんな状況でした。その中、私は前職時代の仲間に声をかけ、必要とされる人数を即座に集めたんです。すると、その機動力を高く評価してもらうことができました。やがてこの物流業務が、私が携わっていた運送会社の仕事よりも売上規模で上回るようになりました。そこで、本社を間借りしていた事務所から物流倉庫に移すと同時に法人化したんです。1992年のことです。もちろん、事務所を無償で貸していただいた社長さんへの感謝は忘れていません。
〉〉〉創業時は大変でしたが、その後は順調に展開してきた印象ですね?
実際には常に資金繰りに悩まされてきました。先ほどお話したように、物流業務は繁忙期に必要となる人材が集中します。当然売上げは拡大しますが、同時に人件費も膨れ上がります。さらに売上げの回収よりも先に給料の支払いが先行し、常に運転資金が足りない状況になるんです。
当社の場合、ある企業の協力で売掛金の一部を前金でもらい、窮地をしのいできたのですが……実際には回収できないことも多く、涙をのんだ経験も一度や二度ではありません。資金繰りに苦しむと同時に悔しさが募り、「もうやめてしまえ」と投げ出しそうになったこともあります。
〉〉〉それでも踏みとどまり、人材派遣業にも事業を拡大されています。
苦しいからといって事業をやめてしまうと、家族共々、また路頭に迷うことになります。正直、創業時には理念なんてなく、家族を養いたい一心でした。がむしゃらに働き、妻と子どもたちを食べさせないといけなかったんです。
ともあれ、物流業務の仕事が軌道に乗り始め、次第に現場に人材を供給してほしいという要望が出始めました。そこで平成16年6月に一般労働者派遣業の登録を行い、物流人材の派遣サービスにも事業進出を果たしました。
こうして事業を拡大していくなか、さらに売上げを伸ばすチャンスが訪れました。売上規模で当社を勝る同業他社を吸収合併する話が舞い込んだんです。従業員全員と共に顧客も引き継ぎ、単純計算で売上規模は2倍以上に拡大する予定でした。
しかし、ここでもどんでん返しを食らわされたんです。まず吸収合併後、売掛金の全額を旧経営陣が全額回収済みだというのがわかりました。ところが、1千万円以上の未払い給料の支払いは残されていたのです。吸収合併を斡旋してくれた人からは「営業権を買い取ったと思い、我慢して払ってほしい」と頼み込まれ、泣く泣く給料を支払いました。
これで事業を拡大できると思ったのもつかの間、吸収合併して1年も経たないうち、引き継いだ従業員の幹部数名が退職してしまったんです。同時に顧客も失い、月500万円の売上げがなくなりました。売上拡大のチャンスと思い、従業員と顧客を引き継いだにもかかわらず、その幹部従業員と顧客をまた失ったのです。
さらに追い打ちをかける事態が起こりました。吸収合併して引き継いだ従業員の一人が無断で自分の会社を立ち上げ、経営していることが発覚したのです。その事実が判明した段階で解雇することもできましたが、派遣業や物流業務請負とは異なる業種でした。よってその行為を認める代わりに当社が出資し、子会社化するかたちで事態の収拾を図りました。
ところがその事業は軌道に乗らず、挙句の果てには、その従業員が「派遣業に業種転換し、自分で会社をやっていきたい」と直訴してきたのです。独立心の強い人間だったので、結局その求めにも応じました。
これで事態が収まるかと思いましたが、さらに問題は続きました。独立した元従業員と別の従業員が水面下でつながっていて、辞める人間が続出したんです。最終的にはナンバー2まで退職。結局、戦力となる幹部人材は大半がいなくなりました。
〉〉〉原因は何だったのでしょうか?
なぜここまで人が辞めていくのか、その原因は最初はわかりませんでした。しかし、ある従業員から突きつけられた言葉で我に返りました。「この会社にはビジョンがない」――さすがに心にグサリと刺さり、経営者として責任を感じましたね。
そもそも会社を立ち上げた経緯は家族を養うためです。しかし次第に事業が拡大し、人が増えてきていたにもかかわらず、従業員の心を一つに束ねるビジョンが描けずにいたんです。気づけば会社の一番の目的が売上追求になり、社内で売上げを競わせるようになっていました。
社内競争が激化すると、やがて誰かを踏み台にしても上にのし上がろうという雰囲気になっていきます。職場環境はギスギスし、従業員一人ひとりの目線が違う方向を向き始めます。
さらに当時、幹部候補の人材には管理者セミナーに積極的に参加させていました。もちろん人材教育の一環だったのですが、結果としてこれが仇になりました。セミナー自体は素晴らしい内容なのですが、力をつけた従業員の意識が会社の連帯感に向かうのではなく、「自分でも会社を経営できる」という独立心に変わってしまったのです。その結果、戦力となる人材の大半が辞めてしまったわけです。
〉〉〉そこでどんな対策を講じたのでしょう。
企業理念を一からつくり変えることにしました。そのきっかけは、ある女性経営者から言われたひと言です。ある日、唐突に「御社の企業理念を教えてください」と聞かれたんです。そこでお伝えすると、「その理念、腹に落ちてるんですか?」と返されました。最初は意味がわかりませんでしたが、美辞麗句を並べたような言葉では従業員はもちろん、私自身も経営の拠り所にできていないというのがわかったんです。
企業理念を再考する際、「何のために経営するのか」という原点を見つめ直す必要がありました。売上げや利益は目的を達成するための手段であり、「何のために」という目的を理念に落とし込まなければ従業員の求心力を得ることはできないと思ったからです。
当社の事業領域である人材派遣やアウトソーシング事業は、クライアントへ人材を送り込むことで成り立つビジネスです。だから「人」がすべてであり、財産なんです。だから「人を大切にする企業」こそが経営の目的だと再認識しました。
そこで「私たちは『理想の企業』を創造します」という企業理念を作成し、理想の企業のあるべき姿として「世界一の企業」「社員第一主義」「高潔な企業文化」の3つを定義。世界一とは売上や利益ではなく、従業員や顧客から「世界一愛される」企業と明文化しました。
「社員第一主義」というのは、顧客を大切にしないという意味では決してありません。社員を幸せにできる会社でなければ社員から選ばれないでしょうし、お客様からも選ばれることはないと思います。逆にいえば、社員が幸せであれば、お客様も大切にするようになると思うのです。社員から愛さる会社であって初めて、顧客からも愛される会社になれると考えています。
また、過去の反省を込めて「ノルマなし」「社内競争のない会社」を掲げました。経営の目的を見失い、従業員が大量に辞める事態を経験したからこそ、経営の原点に立ち返り、「人を大切にする」という本来の目的を見出すことができたのです。
創業してから、さらにいえば大阪に出てきてから波乱万丈の人生でした。しかしそれらの経験は自身の糧となり、いまにつながっています。創業当時の働く原動力は家族でしたが、いまは社員を大切にすることに向いています。
株式会社KDP
代表取締役会長
金谷 宏氏
設立/1992年 資本金/3,300万円 従業員数/40名
事業内容/物流業界に特化した人材派遣やアウトソーシング事業を行う。近年は派遣業以外の新たな事業領域の立ち上げにも力を入れ、LED照明をベースとした物流倉庫のコストダウンのコンサルティングにも取り組んでいる。