プライドかなぐり捨て、全員経営へ
赤字続きの会社を畳むか、継承するか。窮状に苦悩する父親から示された選択肢に、稲垣氏は3代目になる道を選んだ。大学まで続けていたサッカーの道をあきらめきれず、10年間の会社員生活を挟んでやっとつかんだガンバ大阪コーチの職をなげうっての決断だった。
まずは1社依存の取引が招いた危機から脱するため、飛び込み営業を繰り返した。「営業経験ゼロ、経営も素人。ただ必死だった」。だが仕事欲しさのあまり言い値で受けた仕事の繁忙ぶりに社員は疲弊し、ますます業績を圧迫していく。
「何もわからない社長が会社をかき乱している、と社員たちが結託して社長おろしを画策していた」と工場長を務めていた梅本氏は当時の混乱ぶりを振り返る。18人いた社員は半年で4人に。
サービス残業が常態化し、従業員が労基署に駆け込むトラブルは日常茶飯事。人は定着せず、業績も上向かない。気が付けば自己破産の道を突き進んでいた。
ある日稲垣氏は、あまりにも人が定着しない現状に「従業員を”雇ってあげている”から”来てもらう”へ自分の意識を改めないと」と気づく。社員全員で苦境に立ち向かわないことには状況は改善しない、と経営状態を示す数字をすべて見せ、「助けてほしい」と頭を下げた。
利益を確保するには値段の見直しからと、取引先に片っ端から値上げの交渉を始めた。活路を見出そうとインターネットを活用した販路開拓に着手し、売上げが増え始めた。従業員には営業利益の4分の1をボーナスに充てると公言し、若手を積極的に登用した。
会社がどん底のころ、入社3年目で工場長に抜擢された藤田氏もその一人だ。2年前、期の後半で赤字になりかけていた時のこと。社員に「ボーナスは欲しくないのか」とはっぱをかけ、結果的に残り4カ月で社員1人当たり100万円のボーナスを手にするだけの営業利益を上げた。
今年4月には稲垣氏とともに、スポーツ業界向けにノベルティなどを企画・製造する「アクリル運動部」という新会社を設立した。「僕は自分の居場所があればいい。それを与えてくれたのが社長」と新事業の育成に心血を注ぐ。
昨年定年を迎えた前工場長の梅本氏は再雇用され工場で後進の指導を任されている。「会社の状態をガラス張りにして、社員の意識が今では180度変わった。みな責任を任されながらのびのび働いている」と実感を込めて語る。
「それぞれがやりたい事業で起業し、ネットワークしながら会社を発展させていく」ことが稲垣氏の目標だ。
▲代表取締役 稲垣 圭悟氏
(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)