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ルーツは江戸中期 長い歴史も一歩の積み重ねから

2013.05.10

有機合成の技術で生き抜いてきた280年

関西で唯一の産業用爆薬メーカー。セメントの原料となる石灰石を採石場で砕いたり、山岳地域におけるトンネルの掘削を進める際、発破をかける時に使われるのが産業用爆薬だ。もう一つの事業の柱が有機化学中間体と呼ばれる化学合成品の製造。中間体とは、染料などの最終製品にするための原料となる化学合成品の半製品のこと。一見、二つの事業の間にはまったく関係がないようだが、「火薬も染料ももとをたどればベンゼンに行き着く。ベンゼンをどう反応させるかで火薬にも染料にもなる」と由良氏は説明する。

曾祖父の浅次郎氏は、1914年に国産初の有機合成染料を開発したことで知られる。同年、第一次世界大戦が勃発したことで染料加工の原料となるドイツ製の合成染料、アニリンの輸入が途絶えた。染料業界が混乱に陥る中、染料加工会社を営んでいた浅次郎氏は精製装置を自ら開発。1カ月あまりで純粋なベンゼンの開発に成功し、これを反応させアニリンの工業生産に導いた。この精製装置は今なお貴重な産業遺産として和歌山市内に保存されている。

これだけでも歴史を感じさせるエピソードだが「会社のルーツは江戸中期までさかのぼる」と由良氏。「私からさかのぼって14代前の祖先が1735年ごろ和歌山で藍染業の日高屋を創業したのが始まり」というから、およそ280年を生き抜いてきたことになる老舗の中の老舗だ。浅次郎氏はその後、医療界から求められていた消毒用フェノールの合成にも国内で初めて成功する。その有機合成の技術力に着目した海軍から主力爆薬として火薬のピクリン酸の製造依頼を受け、大正末期から第2次世界大戦が終わるまで供給を続けた。終戦とともに直接賠償工場に指定され、生産停止を余儀なくされるが、サンフランシスコ講和条約の締結を受け1952年に産業用爆薬の製造を開始。昭和40年代からは有機合成技術をベースに有機化学中間体の生産も始めた。

目の前の課題を一つずつ解決することで歴史を築いていく

現在、産業用爆薬については、公共事業削減のあおりを受けて生産量は減少しているが、それを補うように大手化学メーカー向けのOEM生産を増やしている。「大手にとって、マーケット規模が小さい爆薬事業は外部に任せたい。だが、危険な製品なので信頼できる会社にと考える。そこで長年の実績がある当社が選ばれている」と由良氏。近年は生産の大半を中国の協力工場に移しているが、国内では研究開発に注力し、爆薬に使う有機化学合成物を加工して全く異なる用途に使う研究も進めている。

有機中間体については、近年まで液晶テレビの基板洗浄に使われる材料を供給していたが家電不況のあおりで生産量が激減。これを補うべく食器用、クリーニング用洗剤の開発を進めている。これは中国工場で生産し、中国市場に向けて販売する考えだ。また、特殊なメガネ光学レンズの原料なども供給し、徐々に売上げが伸びているという。

「長い歴史があると、ともすれば守りに入りがち。私自身慎重になっているところはあった。だが、これからは今まで以上に研究開発に投資を振り向けていきたい」と由良氏。280年の歴史を踏まえた今後の展望を問うと、「おそらく代々の経営者たちも目の前の課題を着実に解決してきただけではないかと思っている。その積み重ねで長い歴史になった。遠い将来のことを考えるより、まずは1年、2年先のことを考え、次の歴史を築いていきたい」と気負うところはない。

 

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▲曾祖父の由良浅次郎氏。

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▲1895年に設立した由良兄弟染色合名会社の登録商標。

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▲国内ではじめて純ベンゾールを精製した装置。

ワイ・エス・ケー株式会社

代表取締役社長

由良 秀明氏

http://yskco.jp/

火工品・産業用爆薬、化成品・有機中間体類、特殊機能品類、産業機器類を開発・製造・販売。