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【長編】人を信じ ピンチをチャンスに

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サラリーマン時代から幾度もの窮地に直面してきた橋本氏だが、「人を信じること」を常に貫き通し、ピンチをチャンスに変えてきた。性善説に基づいた経営は、社員と向き合う姿勢にも遺憾なく発揮され、若い人材を定着させている。

〉〉〉創業の経緯は

19歳の時に大阪に出てきて鉄工所に就職したのですが、入社7年目に倒産しました。最後のほうは給料も未払いでしたし、もちろん退職金もなし。金融機関や取引先が会社の債権を取り戻そうと工場にやってくるので、それを取られないように、他の従業員とともに工場に泊り込んで資産を守りました。労働争議です。僕が言いだしっぺでしてね。当初100人ほどがいっしょに闘っていましたが、1週間で50人に減り、また1週間で30人に減りといった具合で、最終的には8人が残りました。

自炊しながら食いつないでいたのでお金は出て行きます。工場に材料や機械があったので、事務所に残されていた顧客名簿の先を訪ねては、仕事をとりにいきました。はじめは全く相手にされませんでしたが、少しずつ仕事が増えていきました。それが3年間続いたんです。結局、破産管財人から立ち退き料渡すから出て行ってくれということで、やっと出て行くことになりました。最後に残った中の4人で、会社をもう一度始めようということで作ったのが、今の株式会社フジムラです。

 

〉〉〉そこで社長として残り3人を率いることになった。

残りはひと回り以上も上の人ばかりで、4人の中では一番若かったんですけどね。おまえがやれ、と。僕が一番バイタリティーがあったからだったんでしょうね。社長らしきことはほとんどしていません。ただ先輩といえども仕事では負けたくないというのがずっとありました。仕事で上にいったらえらそうに言われることもないでしょ(笑)。

ただ4人とも同じ給料にしていたのですが、いつも残業するのは自分だけで。不公平感はありました。創業3年目くらいに、取引先から不渡り手形を食らいましてね。取引先はどことも僕が懇意にしていましたから、残りのメンバーから「お前の責任や」とののしられました。手形は1500万円。当時の売上げは月500万円程度でしたから、これはつぶれるわ、と周りは思ったでしょうね。

僕も覚悟を決めて、自分のやりたいようにやろうと考えて、皆から均等に集めた出資金をすべて僕が引き取ってオーナー社長になることにしました。その返済額も合わせると2000万円の借金をいきなり背負うことになりました。

社員にはちゃんと返済するのでこれまで以上に協力してほしいとお願いすると、3人のうち2人から「一度に返せないんやったら協力もでけへん」と。これは人生の中でも一番堪えましたね。しばらくしてもう1人は「返さんでいいから」と言ってくれて。その言葉のおかげで持ち直しました。その彼は今でも一緒に働いています。それでなんとか、どん底を乗り越えた。

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〉〉〉苦境を切り抜けられたのはなぜ。

それまではほぼ1社からの仕事に頼っていたのですが、その会社に何か起きたときに共倒れになることがわかり、取引先を広げることにしました。さいわい人の縁に恵まれ、ほとんど営業はしていないのですが、仕事は回ってきました。

僕は両親の顔を知らずに育って、おばのところに養子に出されました。そこのおじがとてもできた人で、「ものは大事にせなあかんよ、敷居を踏んだらあかんよ、人を恨んだらあかんよ」ということを諭すように教えてもらいまして。それが、大人になっても頭に残っていて、「頼まれごとは試されごとや」といつも考えて前向きに行動していました。それがいいように作用して、そのご縁で今までやってこられたのかなと思っています。

 

〉〉〉普通の人だと落ち込むところを前向きなエネルギーに変えてきた。

その時はしんどいけれども、そこで全力で取り組んだら、必ずどこかで上向きになるときが来るものです。5年前にここの工場を作ったときもそうでした。前の工場が手狭になって、近所への騒音も気になるようになって移転先を探していました。ところが、買いたいと思っていた物件は、他の会社が買うという話がありましたし、そもそも高すぎてとても手が出ませんでした。その時にリーマンショックが起こったんです。売上げはもちろん落ちましたが、外注に出していた分が減った程度で、うちの仕事の売上げはほぼ維持できていました。そうこうしているうちに、買おうとしていた会社の業績も悪くなり、結局その物件は競売になり、私たちにも手の届く価格で買うことができました。社員には「うちらに買わすためにリーマンショックが起きたんや」と言っています。

 

〉〉〉工場の中はずいぶんと若い人が多いですね。

うちはどこも引き取ってくれないようなやんちゃな子を採用しています。悪いくらいの方が面白いし、人は使ってみないとわからないでしょう。ある一人が勤め始めてくれたおかげでほかの若い子もやめなくなりました。例えば、ある子は採用するときに「1年真面目に勤めるのでその後半年休みください。オーストラリアでサーフィンがしたいので」と言いました。そんなこと言うやつやったらすぐ辞めるやろと思っていたら「約束どおりオーストラリアに行っていいですか」と。あー、1年ほんまに勤めたんやなと思って行かせました。今戻ってきてちゃんと働いています。体にハンディを持つ子が入ってきてからは、ほかの子も負けてられへんという雰囲気になって、皆のレベルがずいぶんと上がりました。

そらもう、たたくときもありますよ。でも親も学校の先生にもほっとかれてた子らからしたら中小企業のおやじは最後の砦や。私生活にまで立ち入るのも当たり前。僕はこの子らを息子と思っているし、おやじと呼んでくれる子もいます。

以前、工場に来たお客さんの前で、彼らの一人が「おやじは、いつも俺らと正面から向き合ってくれるから今までついてきた」と言うてくれてね。そのときのことを思い出したら今でも涙が出る(笑)。今までの人生、いろいろあったけど、やっぱり人間を信じているんやね。

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2013年10月10日
株式会社フジムラ
代表取締役  
橋本 秀一氏
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