ただ1社、国産サドルメーカーの心意気
事務所の壁にずらりと並べられた自転車のサドル。人気ファッションブランド向けから競輪選手、いわゆるママチャリ用に至るまで形状、デザイン、色の多様さにまず驚かされる。
すべてが手作業によって生み出される。プラスチック製の「ベース」にウレタン製の「クッション」を接着し、さらにその上からビニールや皮革製の「トップカバー」を貼り付けて、最後にバネの役割を果たす金属製の「レール」をつけて完成。
特に「クッション」と「トップカバー」の両方につけた接着剤をヒーターでいったん軟らかくしてから圧着し硬化させていく作業は丁寧さと根気が必要だ。
「ホッチキスで止めているものもある安価な海外製品と比べ破損しにくく、美観も優れている」と加島氏はメイドインジャパンに自信を見せる。
かつて日本の自転車関連産業は隆盛を極めた。同社も1970~80年代のピーク時は2つの自社工場を持ち、従業員は100人を数えた。悪路をかけ抜けるモトクロス用自転車、BMXが米国でブームを巻き起こした頃は「飛行機1機分にすべてサドルを積んで輸出したこともある」。
また、元競輪選手の中野浩一氏から直接意見を聞いてつくったサドルは同氏の世界選手権プロスプリント10連覇を支えた。
その後、安価な海外製品が入ってくるようになり国産品は行き場を失った。いち早く中国・天津に合弁工場を設けてしのいだ。工場用地を全て売却し、一時は会社を畳むことも考えたが、「競輪選手のためにも」と加島氏は2005年、3代目を継ぐことを決意する。
ちょうどその頃、社長になったばかりの加島氏が廃番になったBMX用サドルを工場内で見つけ、そのかっこよさに感銘を受け復刻版の製造を決めた。
ベースカラー、レールカラーそれぞれ7色、トップカバーの生地は70種類を用意し、完全受注生産で販売を開始したところ世界中から注文が入り、業績も黒字に転じた。
これがきっかけとなって英国の人気ファッションブランド、ポール・スミスからサドルを作ってほしいとオーダーが入った。その後も映画のスター・ウォーズ、高級ファッションブランドのディオールなどから「KASHIMAXのサドルを使いたい」と依頼が絶えない。
製造にかかわる職人は加島氏を含め3人にまで減ったが「国内唯一のメーカーだからこそ伸びる余地がある」と力強く語る加島氏。
「お尻の形は人によって異なるので、万人受けする商品の開発は難しい。だからこそうちの出番がある」と、今後は、競輪、レーシング、BMX、ママチャリ向けなどにカスタムオーダーをさらに増やしていくことが目標だ。
(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)