戦争で工場焼失、オイルショックで廃業の危機、 リーマンショックで受注激減―。幾多の試練を乗り越えてきた根底にある家訓とは?
―先代から引き継いだ理念や言葉はありますか?
当社は2017年に創業100周年を迎えます。その間、それぞれの代で難局を乗り切ってきたわけですが、心の中にあるご先祖さんの面影が常に経営の判断基準となっています。とくに当社の家訓として受け継いできたのは、「鉄工所は大きしたらあかん」という言葉。この家訓を胸に、たとえ景気が上向いても身の丈に応じた経営に徹してきたからこそ、環境変化の荒波にも飲まれずに済んだと思っています。
たとえばリーマンショックの前、景気が一時的に好転していましたが、当社は浮かれず愚直に商売を続けていました。その際、実力を過信するなどして過大投資を行った企業の中には、リーマンショックのダメージを吸収しきれなかった企業もあるはずなんです。それはかつてのバブルの時代も同じで、当社に限らず体力の乏しい中小零細企業は身の丈に応じた経営が基本やと思います。
一方、保守的になるだけでなく、時代の変化に応じた攻めの経営も大切ですね。当社の場合、半世紀を超えて長年お付き合いをしていた主要顧客2社からの依頼がリーマンショックを機になくなったんです。当社の売上を支える二本柱だっただけに苦境に立たされたわけですが、その経験を機に、好況時にこそ守りに入らず、積極的に新規開拓する必要性を痛感しました。
中小零細企業の商売は信頼関係が何より求められますが、同時に、これからの時代はそれだけではやっていけないという教訓にもなりましたね。先代の教えを守りながらも、この時代に当社に求められているものは何かを見極めた経営も意識していきます。
―現社長が四代目に就任されてからの苦労やエピソードを教えてください。
私が社長になったのは2008年で、その直後にリーマンショックが起きたんです。長年の取引先からの注文が途絶え、新しい顧客を開拓しなければ経営が立ちいかなくなりました。そこで自社の強みを再確認し、より付加価値の高い仕事を積極的にとりにいくことにしたんです。その際、従業員全員の名刺を作成し、とにかく会社のPRをさせました。「飲み屋でも近所の人でもええから配りまくってきてくれ」と。帰休制度等実施をして社内のムードは停滞していましたが、それから徐々に活気がよみがえりました。
あと、現場の操業を一時止めた時間を利用して、展示会に出展するための製品をつくるプロジェクトを発足しました。自社の技術をPRするというテーマに沿って従業員に一任したんですが、一生懸命に取り組んでくれたんです。従業員たちにはいまでも本当に感謝しています。当時は厳しい状況に違いありませんでしたが、従業員のがんばりのおかげで、誰ひとり会社都合で解雇するようなことはせず持ちこたえることができました。
従業員たちに心から感謝できるようになったのも、入社当時の苦い経験が根底にあります。20代の頃の私は勝ち気で、「現場の職人には絶対負けへんぞ」という意識が強くありました。でも跡取り息子という立場の人間が現場に対抗心を燃やすと、社内がギスギスしてしまうでしょ。でも、あるセミナーに出たのがきっかけで、「自分一人では何もできへん、従業員の協力があってこそや」と気づいたんです。
そこで従業員たちにいままでの愚行を謝ることにしました。ある日の朝礼で、「いまの中川鉄工があるのは皆さんのお陰です」とお礼を言って、頭を下げました。自分でいうのも恥ずかしいんですが、涙をぽろぽろ流しながら謝りました。それを機に従業員が変わり、社内の雰囲気も良くなりました。いまは社内の和を大切にして、飲み会など親睦を深める機会を多く設けています。
―いま取り組んでいることや今後の展望を教えてください。
時代にあった経営の模索の一環で海外展開に力を入れ始めました。すでに外資系企業との取引も始まり、信頼関係の構築に努めているところなんです。海外の企業とはいえ商売のベースは人と人のつながりなので、ウィン・ウィンの関係が築けると思っています。そのほか、航空宇宙産業への参入など、より難しい領域にも積極的にチャレンジし、付加価値の高い仕事にシフトしていきたいです。
2017年に創業100周年を迎えたあとは、創業200年企業をめざします。そのために必要なのは若い力です。だから現場の次の世代を育てる必要性を感じていますね。少し気になるのは、いまの若い人は競争意識が低いこと。「中川鉄工のこれからは俺が引っ張ってやる!」というほどの気概で仕事に向き合ってくれる若手が出てきてほしいですね。もちろん会社も期待するだけでなく、がんばった分だけ還元していきます。
数年前、工場兼本社の2階に「中川鉄工ミュージアム」という部屋をつくったんです。祖父と祖母が亡くなり、遺品整理をしていた際、大正末期から昭和初期にかけてのご先祖さんの古い写真がたくさん出てきました。その写真を見た瞬間、「もっとがんばれよ」と叱咤激励された気がしてゾクッとしたんです。同時に、ご先祖さんも陽の目をみたいと思われているような気がして、それを機に創業の想いを編纂するとともに、中川鉄工の創業からの歴史をお客様に体感していただくミュージアムを開設しました。
創業から一貫して守り継いできたのは、繰り返すように「鉄工所は大きしたらあかん」という家訓。この言葉を今後も守り、身の丈の経営に徹しながら、まずは創業100年、そしてその先の創業200年をめざした経営を続けていきます。
(取材・文/高橋武男)
中川鉄工株式会社
代表取締役
中川 裕之氏
事業内容/2017年に創業100年を迎える。プラント関連部品を中心に鉄道車輛、理化学機器部品、真空機器部品、原子力関連部品、航空機部品などの機械加工を得意とする。