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【長編】日本を背負う気概で、海外で起業せよ

2014.07.09

mindfree03

香港からカナダに移住し、その後、日本企業に就職したレオン氏。25歳で来日した際に30歳で起業するキャリアプランを描き、その計画通りの人生を歩んできた。なぜ日本で会社を立ち上げるに至ったのか、起業前後の経緯についてきいた。

 

>>> まず来日されたきっかけを教えてください。

香港出身の僕がカナダに移住したのは17歳のときです。当時イギリス領だった香港が中国に返還される時期が近づくにつれて移民ブームが起き、すでに親戚が多く住んでいたカナダ・トロントに家族で引っ越したんです。

トロントでは現地の芸大に進学し、ファインアートを学んでいたのですが、将来これで食べていくのは難しいと思い、ウェブサイトの構築技術を勉強するために専門学校に入りました。もともとインターネットに興味があったからです。

専門学校では世界中の留学生と知り合いになり、日本人の友人もたくさんいました。そのうち、日本語を勉強するようになり、それを機に日本に興味を持つようになりました。卒業後はアジアで就職したいと思い、香港や台湾、中国、日本などの情報を調べたのですが、最終的に日本で就職することに決めました。

そのきっかけは、当時、自分が運営していたウェブサイトです。世界中のデザイナーを紹介するのが目的のウェブサイトで、たまたま日本のデザイナーと知り合いになったんです。その方に日本で就職したいと相談してみると、じゃあうちの会社で働けば、と呼んでもらいました。それで、その方が拠点を構える香川県のデザイン事務所で働かせてもらうことになったんです。25歳のときです。

 

>>> もともと、将来は起業したいと考えていたのでしょうか。

香港は会社を設立するハードルがとても低い国として知られています。だから香港と日本では、起業に対する捉え方が少し違います。香港の場合、サラリーマンをしながら会社を2つも3つも経営する人が結構います。起業すること自体は働き方のスタイルの一つの選択肢にすぎないんです。だから僕自身も起業はごく自然に頭の中にありました。

だから25歳で来日した時に、30歳で起業するキャリアプランを描いていました。30歳までに身につけなければならない能力は何なのかを考え、自分の現状の能力と照らし合わせて働く会社を考えていきました。

1社目の会社はデザイン事務所で、主にウェブサイトのデザイン技術を学びました。とてもいい会社で、ずっと働いていてもいいかなと思うほどでした。ですが、自分のキャリアを実現させるために約1年で退職し、大阪のウェブコンテンツ企画会社に転職しました。デザインだけでなく、ディレクションやプランニングができる力を身に付けるという視点で会社を探していたところ、縁がありました。

その会社は大手ポータルサイトにコンテンツを提供していました。僕は主にディレクターとして、アイデア出しから外部スタッフとの調整、コンテンツ制作まで、全体を統括する立場で働かせてもらったんです。この会社には約2年半勤務し、信頼していた上司の異動がきっかけで転職を決めました。

次は、組織マネジメントを身に付けたいと思っていました。そんなとき、ITベンチャーの社長と知り合い、働かせてもらうことになったんです。その会社では事業本部長としてメディア事業部を発足させ、大手企業の採用サイトなどの立ち上げから運営まで数多くの案件に携わりました。具体的には、ウェブ構築から運用、事業に関わる人材育成まで、およそ組織を運営する際のマネジメント全体を任せてもらいました。25歳からの5年間で、いちデザイナーから管理者へ、常に上流をめざしたキャリアを描いてきた感じです。

マインドフリー株式会社

代表取締役 

レオン・メイ・ダニエル 氏

http://mindfree.jp/

ウェブの戦略立案、コミュニケーションプラットフォーム開発事業を軸に、そのノウハウを活かしたソーシャルメディアマーケティング事業も展開。最先端テクノロジーを追求し、IT事業の研究開発にも力を入れる。