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糀を現代につなぎ、世界に広げる

2022.11.21

取材で訪れた日、店の前には手作り味噌教室に参加する女性が並んでいた。自宅で味噌を作るため、生糀を直接店に買いに来る人も多いのだという。

「大和川以南の地域にはこの時期から自宅で味噌を作ってお正月を迎える文化が残っているんです」と社長の豊田実氏。地域に根付くそんな糀文化を大切に守ってきたのが糀屋 雨風だ。

初代和泉屋熊次郎が醤油醸造業を始めたのは今をさかのぼること333年前の1689(元禄2)年のこと。戦前には宮内庁御用達となり宮中へ納品していたこともあるという。1945(昭和20)年の堺空襲で市内中心部にあった本社工場が全焼し、現在の津久野町に移ってきた。

戦後の生産統制がはずれ大手メーカーが市場を占有し始めると、地方の中小メーカーの多くは淘汰されたが、糀から醤油作りをしていた強みを生かし味噌作りにも力を入れ、学校や病院給食向け、さらには百貨店にも販路を広げてきた。

さらに15代目の実氏が力を注いできたのがBtoCへの展開だ。自分でも味噌を作ってみたいという知り合いからの声に応え10年ほど前から手作り味噌教室を始めたが、これを年中開けば、冬季に需要が偏っている糀を年中ならして売れるのではないかとも考えた。

併せて、工場の横に直営店をオープンし、自社で製造した糀、味噌、醤油を販売する一方、近隣の昆布メーカー、チーズメーカーと糀を合わせただしやディップなどのコラボ商品も増やした。

その後、塩糀ブームが起こった際には、塩糀を使って家でどんな料理を作ればよいのかわからないという客からの声に応え、自社製の塩糀を使った料理や甘酒を使ったデザートなどを提供するカフェを隣接地に開いた。

近隣にできた無印良品の施設内に出店したのを契機に同社との共同開発も行っており、地域の農作物と組み合わせた商品も販売している。

糀づくりの技術を代々引き継ぎながら糀をベースにした新たな取り組みにチャレンジを続ける16代目の常務・宣広氏は、「戦災で昔の資料が焼失してしまったこともあり、333年という歴史の重みをそれほど意識せずにいられることが逆に何でもやってやろうという気持ちにつながっているのかもしれない」と話す。

年内にはカンボジアに糀を製造するパイロット工場が完成する予定だ。軌道に乗れば、発酵食への関心が高い欧州へ輸出することも考えており、実氏が温めてきた「日本の糀文化を世界に」という構想もいよいよ現実化しつつある。

左から代表取締役 豊田 実氏、常務取締役 豊田 宣広氏

(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)

糀屋雨風(株式会社 雨風)

代表取締役 豊田 実氏
常務取締役 豊田 宣広氏

https://amekaze.jp

事業内容/糀と糀加工食品の製造・販売