苦難を支え、将来をともに描く相棒達
大阪産業創造館プランナー 中尾 碧がお届けする
社長だって一人の人間、しんどい時もあります。そんな時にモチベーションの支えとなり、「一緒に頑張っていこな!」と声をかけたい“人”または“モノ”がきっとあるはずです。当コラムでは社長のそんな“相棒”にクローズアップ。普段はなかなか言葉にできない相棒に対するエピソードや想いをお伺いしました。
【 vol.19 】株式会社山岡金型製作所~苦難を支え、将来をともに描く相棒達~
株式会社山岡金型製作所は眼鏡の金型を製造している会社だ。大正時代の創業で、現社長の山岡邦敏氏は4代目となる。3代目である父はスポーツ眼鏡の開発、新技術・機械の導入などを積極的に行い、眼鏡業界の大変動に立ち向かってきた人物。当然山岡氏への期待も大きく、幼少期から後継者として厳しくそして大切に育てられてきた。
大学入学直前、3代目より「今度3DCADを導入するので、東京へ研修に行くように」という指示が出た。当時、日本で3DCADを導入していた企業は僅かで、大阪では情報が乏しかった。東京研修では海外有名ブランドや大手デザイン会社から積極的に世界最先端の技術や知識を吸収した。この経験は山岡氏に3DCADが持つ面白さや奥深さを植え付けた。
大学を卒業後は同社に入社、一社員としての目線から改めて会社の課題が見えた。その一つが作業工程だ。3DCADを活かして作業効率を上げるための策を考え、3代目に提案した。当初は抵抗した3代目だが、山岡氏の熱心な提案と実際に社内共有が円滑になり生産性も向上したことで最終的には認めた。この頃から山岡氏の中で将来は単なる職人集団ではなく、「きちんとした組織」として会社を運営したいという気持ちが芽生え始めた。
山岡氏が社長に就任する少し前、従業員2人が退職した。組織としての今後を見据えて、創業以降初めて縁故採用以外の方法で採用することにした。それに伴い、山岡氏が主導となって就業規則をはじめとした各種制度を整備。採用にもしっかりと関わり、製造担当の田中一也氏が入社した。山岡氏が描いていた「組織づくり」への大きな一歩だった。社長就任後も、弟である山岡靖典氏や田中氏を中心として技術を結集し、難しい案件に取り組んできた。
順調に過ごしていたが2年前、山岡氏にある大きな辛い出来事が起き、仕事に取り組むがもがく日々が続いた。苦悩する社長を不安に思い、会社を離れる人が出てもおかしくない状況だった。しかし、靖典氏も田中氏も離れることなく、山岡氏に寄り添いながら会社がきちんと回るようにそれぞれの仕事をコツコツとこなし続けた。より良くするために会社の改善提案をすることもあった。「困難になってありがたみがわかる」と山岡氏は当時を振り返る。身近であればあるほど、そのありがたみは気づきにくいが、気づいた時は喜びもひとしおだろう。
社内と友人達の支えもあって辛い時期は終わり、今は入社当時からめざす「きちんとした組織」づくりに向けてしっかり前を向く。靖典氏は山岡氏に無い視点で重要な情報を伝え、田中氏は技術的な部分や企業理念の考え方など、これまでの経験を活かしたアドバイスを与えてくれる。会社の将来像を一緒に描く大切な相棒たちだ。最近では次に入社する人が入りやすい環境づくりの一環として機械の使い方マニュアルを作成した。
山岡氏は「次の世代にバトンを渡すためのつなぎ」と自身を駅伝のランナーに例える。バトンを繋げるためには走者を支える周囲のサポートが欠かせない。苦難の時期を支え、会社のこれからをともに考える相棒たちと一緒に、山岡氏はひたむきに走り続ける。
(取材・文/大阪産業創造館マネジメント支援チーム プランナー 中尾 碧)