百年続く家業を引き継いだ理由は 「暦の事業」を守る使命感
明治40年に日めくりカレンダーの製造販売を始めて以来、暦(こよみ)一筋100余年の歴史を誇る。4代目を継いだ庄吾氏は工場兼社宅で生まれ育ち、「小学生時代はボンて呼ばれてホンマいややった(笑)」と振り返る。
小さな頃からカレンダーの紙の匂いをかいで育った。「ゆくゆくは継ぐんかなあ」と漠然と考えていた一方で、家業への反発心も抱いていた。23才で入社した大手印刷会社での充実した毎日に、そのまま骨をうずめる気持ちに傾いていた。
そこに待ったをかけたのが番頭のひと言。「このままいったら会社は潰れるぞ。早よ帰ってこい」― 実は先代は同氏が6歳の頃から病気を患い、闘病しながら会社を経営していた。「杉本カレンダーは可愛がってくれた祖父が大切にしていた会社。やらなあかんなと思った」。
27歳で家業に入社。先代が道を敷いてくれていると思っていたが、「いざ入ってみるととんでもない状況だった」。数字はどんぶり勘定、マネジメントも手つかず。変革を試みるも、100名ほどいた従業員は誰も言うことを聞いてくれない。
転機は入社3年目の2004年。取引先が倒産し、億を超える貸倒れを食らったのだ。業績立て直しのため、東大阪にあった工場を売却。40人の従業員をリストラする局面に立ち会った。さらに翌年、石川県に新設した工場の稼働が軌道に乗らず、2年で数億の負債を背負う羽目に。先代は経営責任をとるかたちで引退し、同氏が代表に就任した。
そこから社内変革が本格的に始まった。自ら選任した役員に「『杉本家の会社』から社員の会社にしたい」と訴え、組織改革を断行。経営理念も策定し、人事考課や研修制度も新たに導入した。「ここ数年でようやく会社らしくなってきたが、まだ道半ば」と語る。
先代から引き継げる経営資源があることは確かにアドバンテージだ。だが、後継者が先代から引き継ぐのは必ずしもプラスの資源ばかりではない。それでも家業を継いだ理由を「100年続く暦の事業を守る使命感」と語る4代目社長の挑戦はこれからも続く。
(取材・文/高橋武男 写真/掛川雅也)
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→ 「杉本家の会社から社員の会社にしたい。だから協力してほしい」――。自ら選任した役員に訴え組織改革を断行。創業100余年の家業を継いだ跡取りの奮闘。
株式会社 杉本カレンダー
代表取締役社長
杉本 庄吾 氏
設立/1954年、従業員数/62名 事業内容/名入れタイプを始め各種カレンダーの企画製造を行う。扱い点数350点、年間製造部数3000万部、シェアNo.1の規模を誇る。