初めての海外進出、現地従業員と本音をぶつけ合い信頼構築
当社は2001年、日系メーカーからの要請を受け中国・青島市で携帯電話やゲーム機などに使う軟質材電子部品の加工工場を稼動させました。商社である当社にとって、ものづくりも海外進出も初めての経験でしたので、初代総経理(現地の責任者)として赴任した担当者は、パートナーである日本の加工会社と頻繁にやり取りしながら、生産体制の確立に相当苦労したようです。
ただトップ自らが率先して現場で奮闘する姿に、20数人いた現地の従業員も自然と労をいとわずついてきてくれるようなりました。1年後にはなんとか事業が軌道に乗り始め、2年目には社員が70人にまで増えました。
売上げが安定した4年目から2代目のトップとしてバトンを引き継いだ私は、さらに会社を成長させていくために社内体制の全面的な見直しに着手しました。子会社として親会社のいいなりでものづくりをするのではなく、各部門の職責と目標を明確にして自主性を持たせたかったのです。
さらに、その努力を評価する制度を確立させ、あわせて賃金体系も見直し、評価も中国人の各部門長にゆだねました。以前は、自分が過小評価されていると思ったのか「給料をもっと上げてほしい」と直談判してくる社員もいましたが、
「うちは日本の会社の考え方で、安心して長く勤められる会社をめざしている。だから給料は業績によって大きく上下させるのではなく、少しずつ上げていく。今すぐ高い賃金が欲しいならよそへ行ったほうが良いですよ」と明言しました。社員とぶつかることもありましたが、ちゃんと考えを説明すれば納得してくれました。
次に、新たに営業、技術部門を新設。日系メーカーに依存していた取引先を広げるためです。はじめ社員は何をして良いかわからない状態でしたが、「自分たちの力で挑戦しよう」と呼びかけ、現地で設計開発、サンプル対応に取り組み、営業に出て行くようになりました。リーマンショックのとき、落ち込みかけた業績をカバーしてくれたのが、彼らが開拓した顧客の売上げでした。
工場稼働時からの社員は大半が勤続し、現在も工場を支えてくれています。本音でぶつかってきてくれたからこそ信頼関係を築けたのだと思います。いずれは現地の社員に経営も委ねていきたい。中国人社員に負けない闘争心を日本の社員にどう植え付けるかがこれからのテーマですね。
▲いつの間にか始まっていた現地社員による日本語の勉強会。お昼休みを利用して自主的に勉強している。
▲ダンス部やサッカー部、朝のジョギングなどレクリエーションも盛ん。日本人社員と現地社員が親交を深める機会になっている。
▲「規律・礼儀」、「実務のスピード・正確さ」、「創造性」、「改善提案」など5項目に分けポイント制で評価している。
▲米島フエルト産業株式会社 代表取締役社長 米島智哉氏(左)と
来日していた青島三昌精密加工有限公司 経理 孫香花氏(右)
米島フエルト産業株式会社
代表取締役社長
米島 智哉氏
フエルト及び不織布類をはじめとする軟質性機能材を扱う商社。協力会社と提携し、特殊加工や新素材の開発にも力を入れ、複合資材(プラスチックフィルム、金属箔、粘着剤等)を組み合わせた部品供給も手がける。