父と二人三脚で汽笛依存からの脱却に成功
港町を散策していると、どこからともなく聞こえてくる船の汽笛。旅情を誘う独特の音色は共鳴現象で遠くまで響き、船舶の安全運航を支える重要な役割を担っている。
この汽笛の中でも大型船向けの汽笛を日本で唯一製造するのが伊吹工業だ。
創業は大正11年。現社長の曽祖父が電気機器の製造会社を興し、大正13年に国産初の「モーターサイレン」を開発したのが「音」を扱うようになった始まり。
モーターサイレンとは、文字どおり電気モーターを回してサイレン音を響かせる装置で、当初は時報を知らせる用途で使われていたという。
その後、戦時中は空襲警報として活用され、戦後に技術転用で活躍の舞台が船上に移った。以降、同社は時代の波を捉えて事業規模を拡大し、今や国内のみならず、世界中の船舶に汽笛や警報装置を提供している。
現社長で4代目を務める新宅氏は大学を卒業後、24歳で家業に入った。「当時は経営が厳しい時期で、父から『継ぐ気があるならすぐ帰ってこい』と言われて。会社の力に少しでもなればと入社を決めました」と振り返る。
同社が属する造船業界は景気の浮き沈みが激しく、積荷の需要で船価が変動する投機的な側面もある。そのため景気の動向に左右されるリスクがあり、当時3代目だった現社長の父は汽笛依存からの脱却をめざしていたのだ。
「ところが入社してみると社内の危機意識は薄く、汽笛以外の製品は軽視されていたんです」。そこで同氏は父と二人、汽笛の次の柱を打ち立てるべく船舶用警報装置の改良に着手。
資金がないので工場内の部品をかき集めて新機種を開発し、二人で全国の造船会社に売り歩いて顧客ニーズを取り込み、改良を重ねていった。
さらに汽笛や警報装置をコントロールする電気制御システムの開発にも乗り出し、船舶の「音」を総合的に扱うように。2009年には他社に先駆けて船舶LED照明も開発し、「光」の分野にも参入することになった。
こうして製品の拡充に力を注いでいたその頃、先代が65歳を迎えたのを機に現社長が4代目を継いだ。「父は65歳で引退すると決めていたんです。交代後は見守る経営を前提に、何かあれば相談に乗るスタンスでいてくれたのでありがたかったですね」。
ところが先代は世代交代の1年半後に病気が見つかり、急逝。「承継後で混乱はまだ少なかった」とは言うものの、「父は悔しかったと思いますよ」と静かに話す。
先代と進めてきた事業構造の転換は大きく進展し、年商は入社当時から約2倍にまで拡大。売上比率は汽笛3割に対して警報装置が6割と、目標を見事に達成した。
昨年の秋には新工場が完成。「社員の働きやすさを第一に考えました」と強調するその建物は、一見すると工場とは思えないほどスタイリッシュで、かつ社員が心地よく働けるための工夫が随所にちりばめられている。
この新工場を舞台に、船舶の技術を活かして鉄道分野などに進出していく考えだ。
(取材・文/高橋武男 写真/Makibi)