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父が敷いてくれたのはレールではなく滑走路だった

上田氏はバブルの余韻が残っていた1990年代初めに大学を卒業した。大手企業に就職を決める友人に負けじとばかりに「海外勤務ができる会社で働きたい」と華やかな世界にあこがれ、父親が営む小さな町工場を継ぎ、「親父の敷いたレールの上を進む」という選択肢はなかった。

父親が脳こうそくで倒れたという知らせを受け、久しぶりに守口の工場を訪ねたのは29歳の時のこと。当時、東京でプロモーションの会社に勤務していた上田氏の目に、一つずつ袋が出来上がっていく姿は新鮮に映った。「決まった対価があってないような業界の世界に嫌気がさしていた。働くってこういうことなんちゃうか、と」。父親の「とにかく帰ってきてくれ」の言葉に、小さい頃から毎日見ていた工場がよみがえり、ものづくりの世界であとを継ぐ決意が固まった。

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スーツから作業着の生活に変わった。工場にじっくり足を踏み入れてみると多くの疑問が湧いてきた。当時は、食品の袋を製造しているにもかかわらず、扉は開けっ放し。平気でタバコを吸う社員もいれば、帽子も着用していなかった。仕事のやり方をめぐってことごとく父親とぶつかった。

しばらくして、ドイツの会社から大きな受注が入った。新たに設備を導入し、機械の操作から納品まですべてを任された。独自に衛生管理や効率的な生産の方法を考えた。2002年に専務になってからは、それまで大雑把な決め方だった給与体系もあらため、会議も始めた。周囲の見る目が変わり始めた。2005年には二つに分かれていた工場を統合。食品袋の製造事業は、自分より古くから働いていた従兄弟に譲り、徐々に売上げの多くを占めるようになっていた医療用滅菌バッグに事業を特化した。

特殊なフィルムを使って製造する滅菌バッグは順調に受注を増やしつつある。近年は、大学との共同研究も進め、レーザー技術を使い、先端医療現場で使用する袋の研究開発も進行中だ。

父親は昨年他界した。「晩年の父は認知症にかかり時々取引先のところへ『息子のところにばかり仕事をよこさんと俺のところにもまわしてくれ』と電話していたそうです。どこかで私のことをライバルと思っていたのかもしれない(笑)」と振り返る。今改めて思うのは、「父が敷いてくれていたのはレールではなく滑走路だった」ということ。「しょうもないと思っていた製袋の仕事がある時から無限の可能性があると思えるようになった」。大企業に入った友人たちには負けないという反骨精神をばねにさらなる成長をめざす。

2014年01月09日
上田製袋株式会社
代表取締役  
上田 克彦氏

設立/1989年 従業員/17名 事業内容/滅菌バッグをはじめとする医療向けパッケージ(袋)の製造。

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