スタッフ連載

ピンチを支え、会社のベクトルを変えた相棒達

2020.02.26

大阪産業創造館プランナー 中尾 碧がお届けする

社長だって一人の人間、しんどい時もあります。そんな時にモチベーションの支えとなり、「一緒に頑張っていこな!」と声をかけたい“人”または“モノ”がきっとあるはずです。当コラムでは社長のそんな“相棒”にクローズアップ。普段はなかなか言葉にできない相棒に対するエピソードや想いをお伺いしました。

【 vol.9 】永和工芸株式会社~ピンチを支え、会社のベクトルを変えた相棒達

従業員の挑戦を応援したいが、思うように取り組めず悩む方は多いだろう。永和工芸株式会社社長の松本悦典氏も試行錯誤しながら取組み続け、ようやく形になってきた。

少年時代、周囲は長男の松本氏が次期社長と思っていたが、先代の父は何も言わなかった。大学卒業後、ワーキングホリデーを経て飲食業に就職。今では全国区の知名度を誇る企業だが、入社当時はまだベンチャー企業で社内は熱気に溢れ、仕事は忙しいが充実していた。

転機は30歳の時。同社の東京進出に合わせて松本氏も上京しようとした頃、父が体調を崩した。昔から松本氏が好きな道を選ぶことに反対しなかった父。その父が松本氏を食事に誘った。

「もし会社を継がないなら、あと5年で廃業する」と父が告げた言葉は重く、会社を継ぐことを決めた。未経験の仕事だったが、サブ業務に始まり、やがて主業務の金属塗装も担当して現場改善にも力を入れた。

 
専務就任後に「なにわあきんど塾」に入塾。後継者として同じ課題を持つ仲間ができ、特別だと思っていた「社長」も悩みを持つ一人の人間だということに気づいた。

 
2011年、社長に就任。「従業員が自主的に動ける組織にしたい」という夢を掲げて日々奮闘していたが、6年前に窮地に立たされた。松本氏が期待して採用し、現場の中心となった従業員たちが急に辞めた。

退職した2人の仕事を松本氏が担い必死で現場を回していたが、社内の雰囲気は重く、社長として描いていた夢が揺らいだ。

左から代表取締役社長 松本悦典氏、徳谷勝氏、大垣内祐希氏

そんなある日、従業員の徳谷勝氏から声をかけられた。普段はあまりめだたず、辞めた2人とも歳が近いため退職の不安がよぎったが、徳谷氏が発した言葉は「辞めたメンバーが担当していた現場のリーダーとしての役割を、自分が担う。」という決意だった。

ピンチを1人で抱え込んでいた松本氏は徳谷氏の言葉に救われた。彼を経営幹部にし、組織改善の勉強を重ねながら一緒に経営計画を練った。

 
それから約3年後、のちに松本氏にとってもう1人の相棒となる大垣内祐希氏が入社した。大垣内氏はパートとして入社したが、会議では自分の意見をはっきりと言い、社内改善にも意欲的だった。入社1年後に「会社を変えたい。社員になりたい。」という意思から、現場初の女性社員として登用された。

その後もパート従業員のマネジメントや現場改善など活躍の幅を広げるほか、経営幹部として経営計画作成に携わる。徳谷氏も大垣内氏も、自ら「やりたい!」と声を上げたことが社長の松本氏にとって何よりも嬉しかった。

2019年に同社工場跡にカフェを開店させたが、この新事業は松本氏と大垣内氏が中心となって計画して実現させたものだ。従来の金属塗装以外での新たなベクトルが見つかった。

カフェ外観

現在、経営企画は前述の2人にもう2人加わり、4人体制となったことで松本氏も社長としてすべきことを見据えられるようになった。

次のミッションは、社歴や年齢が若い人でも色々な経験を積み、成功体験を重ねられる場面を作ること。心強い相棒達とそれに続く従業員みんなで、良い会社づくりへの挑戦は続く。

代表取締役社長 松本悦典氏

(取材・文/大阪産業創造館マネジメント支援チーム プランナー 中尾 碧)

永和工芸株式会社

代表取締役社長

松本 悦典氏

http://kinzokutoso.com/

事業内容/金属塗装業