毎日綴り続ける成長の記録と未来への計画書

大阪産業創造館プランナー 中尾 碧がお届けする

社長だって一人の人間、しんどい時もあります。そんな時にモチベーションの支えとなり、「一緒に頑張っていこな!」と声をかけたい“人”または“モノ”がきっとあるはずです。当コラムでは社長のそんな“相棒”にクローズアップ。普段はなかなか言葉にできない相棒に対するエピソードや想いをお伺いしました。

【 vol.8 】東陽精工株式会社~毎日綴り続ける成長の記録と未来への計画書

精密アルミダイカスト製造業の東陽精工株式会社。代表取締役の笠野氏は20代半ばの時に父から「跡継ぐんか?」と、ふと声をかけられたことで会社を継ぐことを決めた。

 
その後すぐに熊本県の大手同業者にて1年間修業することに。修行と聞くと厳しいイメージだが、製造から品質管理まで高いレベルの知識と経験を得ることができた。

「家業を企業にしていきたい」、そう決心して帰阪し、2000年に同社に入社した。


 
当時は好景気で毎日とても忙しかったが、その後リーマンショックが発生し、同社も影響を受けた。

「このままではいけない」と笠野氏は修行先で学んだことを基に、ホームページ制作やISO9001認証取得など脱下請をめざして行動を始めた。

しかし当時社内の平均年齢は高く、能動的な動きが見られず、賛同が得られない。そしてこれまで得意先の下請けばかりだった同社には自発的に営業を仕掛けていくノウハウが無かった。

状況を打破しようと産創館を訪れたある日、「なにわあきんど塾」を知り、その後入塾。経営者として必要な知識と自発的な営業のメソッドを学び、実践して成果を出した。成果を出すことで先代や社内の中に笠野氏の行動を認める空気が出てきた。

2012年に代表取締役社長に就任。業績も上がり、自信に溢れた笠野氏だったが、若い人を採用しても辞めてしまうことが続いた。しかし当時は「社長である自分がこんなに頑張っているのだから仕方ない」と、今思えば従業員のことを信用していなかったと振り返る。

 
ある時、笠野氏が肝入りで始めた新工場の責任者が辞めた。大変期待して採用した人物だっただけに「社長についていけない」という言葉は堪えたという。

この一件は社長である自分のせいで引き起こされたことだと気づかせた。他責をやめて社長として責任を持ち、従業員と信頼を結ぼうと腹を決めた。

代表取締役 笠野晃一氏

 
笠野氏は入社間もないころから、月間・日ごとのスケジュール、良い言葉、体調、議事録や目標設定などを書き続けている手帳がある。手帳といっても、A4サイズの厚めの大学ノートだ。

自身のマインドを変えた件以来、良い会社にしていくための思いや、従業員に伝えたいことなども書き込むようになり、自分流にカスタマイズして今の形になった。その手帳が笠野氏の「相棒」だ。

毎朝の確認に加えて暇さえあれば見るほど愛着は深く、手帳について語る笠野氏の顔は会社への強い想いを語る時と同じくらい輝いている。

 
2020年1月からは16冊目となる笠野氏の手作り手帳。それは社長として「変わろう」と決めた時も現在においても、毎日気持ちを奮い立たせる存在であり、笠野氏と東陽精工株式会社の成長の記録と未来への計画書でもある。

 
(取材・文/大阪産業創造館マネジメント支援チーム プランナー 中尾 碧)

2020年01月10日
東陽精工株式会社
代表取締役  
笠野 晃一氏
事業内容/精密アルミダイカストの製造・販売

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