スタッフ連載

次の200年、300年を見越して。ともに和菓子屋の魂をつなぐ相棒

2018.12.27

大阪産業創造館プランナー 中尾 碧がお届けする【聴きたい!社長の相棒】

社長だって一人の人間、しんどい時もあります。そんな時にモチベーションの支えとなり、「一緒に頑張っていこな!」と声をかけたい“人”または“モノ”がきっとあるはずです。当コラムでは社長のそんな“相棒”にクローズアップ。普段はなかなか言葉にできない相棒に対するエピソードや想いをお伺いしました。

【 vol.2 】浪芳庵株式会社
~次の200年、300年を見越して。ともに和菓子屋の魂をつなぐ相棒~

南海難波駅からほど近く、通りがかった外国人観光客が思わず写真を撮ってしまう和の様式美を兼ね揃えた店舗。今回取材した浪芳庵株式会社の本店だ。

6代目を務める現代表の井上氏は3人兄弟の次男であるが、幼いころから家業を継ぎたいという意思を持っていた。学卒後は「百貨店に出店して浪芳庵をもっと盛り上げたい」という考えから有名洋菓子メーカーへ就職。そして約5年半修業したのちに浪芳庵に入社した。

井上氏が入社した当時の従業員数は16名、その年齢層が井上氏の父(現会長)と同じであることを目の当たりにした時、「5年~10年後の浪芳庵はどうなってしまうのだろう」という考えが頭をよぎった。

しかし後継者の立場とはいえ、周りは自分よりも年上の従業員ばかり。結果を残さないと自分の意見は通らないと考え、まずは百貨店の催事出店に挑戦した。

代表取締役社長 井上 文孝氏

井上氏が新しい取り組みをはじめて3年ほど経ったころ、理解者でもあった職人の一人がある人物を紹介してくれた。その人物こそ現工場長で井上氏にとっての“相棒”伊勢田氏である。

当初、井上氏は経営面を考えて、たくさん作るための効率性に重きを置いていたが、伊勢田氏は職人として品質にこだわりたかった。どちらも浪芳庵を大切に思う気持ちから喧嘩もよくした。

しかし議論をぶつけ合ううちに、やがて“おいしいお菓子を会社として真剣に作ること”という共通認識を持つことができた。そこには色々な人の想いや、意見をきちんと聞きたい、という井上氏の考えもあった。

「ぶつかることはあったが、品質に対する考え方は伊勢田氏に教えてもらったことばかり」と当時を振り返って井上氏は微笑む。

工場長 伊勢田 裕氏

今年で創業から160年。次の200年、300年へと続く礎づくりに今二人は取り組んでいる。「次の世代の人たちのことを考えると身が引き締まる」と伊勢田氏。

長く地元の人々を中心に愛され続けている浪芳庵の商品を作ることの大切さと気持ちの込め方を、言葉だけではなく行動や仕事への向き合い方を通して次世代へ伝えることは並大抵ではできない。

しかし、井上氏も伊勢田氏も表情は明るい。“浪芳庵にこうなって欲しい”という気持ちを試行錯誤しながら形にしてきたことで、二人と同じ想いを持つ人が社内に増えてきたことも嬉しい。

浪芳庵には「一代一場」という言葉がある。その代それぞれの人たちが自分らしさを表現するステージを作ることを言う。

実は同い年の井上氏と伊勢田氏。今の時代における浪芳庵らしさを二人の代で表現し続けてきた。次の世代もその世代らしい浪芳庵として挑戦できるように、今二人はスパートをかけている。

(取材・文/大阪産業創造館マネジメント支援チーム プランナー 中尾 碧)

浪芳庵株式会社

代表取締役社長 井上 文孝氏
製造部部長 工場長 伊勢田 裕氏

https://namiyoshian.jp/

事業内容/和菓子の製造・販売