社員を守り、会社を支える、縁の下の力持ちのような経営を
21年前、専業主婦として6歳と3歳の2児の子育てをしていたある日突然、夫の豊氏が親戚の経営していた運送会社から独立。「実家は自営業。大変さがわかっていたので手伝うつもりはなかった」が、チラシ配布、英語の家庭教師、子どもが通うスポーツクラブの受付のアルバイトを同時に始め、子育てしながら家計を支えた。
ほどなくして百貨店の物流センターから受けた仕事が軌道に乗り、お中元・お歳暮の時期は豊氏一人では回しきれなくなり、期間限定で手伝うことに。不在通知を受けた顧客からの電話対応、代引きなどお金の管理や伝票管理のほか、アルバイトの採用など知人を通じて人材探し。大規模マンションへの宅配は居住するママ友に委託するなど主婦ならではのアイデアを生かした。
大学卒業後すぐに結婚したことから初めてのアルバイト以外の仕事だったが、常にチャレンジしている感覚に無我夢中だった。その後、より忙しくなったことをきっかけに本格的に手伝うことになり、時には軽トラックを運転して配達に回ることもあった。
転機は2004年頃。百貨店からの受注が減少し、120坪の倉庫が空になる状態が1年近く続いた。必死に取引先を開拓し、ニット糸のメーカーの納品代行を月5万円から始め、現在は240坪の倉庫管理から出荷を任されている。
また、アパレル関連を中心としたハンガー輸送に力を入れたのもこの頃だ。4tのハンガー車を4台、ドライバーも増加し、「荷物に愛情を持って」と口酸っぱく伝えた。
ハンガー車の内部は絨毯張りで、身だしなみを整えたドライバーが常にキレイな手袋をして丁寧に搬送を行うため、営業がいなくても依頼が入る。「ドライバーには感謝しかない」という。現在は、ハイブランドからファストファッションまで幅広いアパレルメーカーの物流を担っている。
2005年の法人化を機に、夫が「自分は現場を見るから、おまえが社長をやれ」と代表取締役社長に就任。豊氏のアドバイスを元に社員やドライバーが現場の不満を話しやすい保健室の先生のような存在を心がけていて、ドライバーの妻から相談の電話が入ることもあるという。
平均勤続年数は12年、20年以上勤める人もいる。2017年には次女の悠里氏が後継者として入社した。「仕事は時代や環境によって変化する生き物みたいなもの。その変化を楽しんでほしい」と次世代の成長を楽しみにしている。
今年4月、緊急事態宣言が発令され、百貨店のアパレル店舗が休業。仕事の8割がストップした。
「今後はもっと重い荷物も運べるウイング車を増やして、運べる荷物の幅を広げていきたい」とピンチをチャンスに変えようと考えている。この危機を乗り越えるために何をすべきか社員みんなで一緒に考え、乗り越えるつもりだ。
(取材・文/三枝ゆり 写真/福永浩二)