兄弟だからこそ深くわかり合える、会社を良くしたい気持ち
大阪産業創造館プランナー 中尾 碧がお届けする
社長だって一人の人間、しんどい時もあります。そんな時にモチベーションの支えとなり、「一緒に頑張っていこな!」と声をかけたい“人”または“モノ”がきっとあるはずです。当コラムでは社長のそんな“相棒”にクローズアップ。普段はなかなか言葉にできない相棒に対するエピソードや想いをお伺いしました。
【 vol.6 】有限会社森永商会~兄弟だからこそ深くわかり合える、会社を良くしたい気持ち
有限会社森永商会は昭和48年創業、工業用潤滑油やグリースなどの販売を行う会社だ。製造業の「困った」に日々対応する社長の辻本聡氏は、アパレル会社の販売員として勤めた後、父が創業した同社に入社した。
当初は知人のつてや飛込営業で顧客獲得に励んでいたが、そのうち仕事に明確な目的が見いだせない時期が来た。その頃リーマンショックにより、同社も減収となるが、この経験により先代である父が元気なうちの事業承継を決意、2010年に社長に就任した。
就任後は営業活動に励むが明確なビジョンが持てず、社長仲間と関わる度に焦る時期がしばらく続いた。
そんな聡氏に再び転機が訪れる。地域の繋がりから後継社長や社長候補が集まる勉強会に参加し、そこでは課題を抱えながらも行動し、結果を出し続ける仲間がいた。
同じ悩みを持つ仲間との学びで大きな刺激を受け、現在の「困った時の森永商会」に繋がる理念、会社の方向性を明確化し、実践に落とし込めた。
聡氏が社長の心構えを持った頃、相棒となる弟の豊氏が入社する。豊氏は会社を継ぐ気持ちがあまり強くなかったことから、他社でキャリアを積んでいた。そこに聡氏が「森永商会に入って欲しい」と豊氏に電話をしたという。
当時、森永商会では社員の高齢化が大きな課題となっており、豊氏の若い力が必要だった。また、業務効率化やノウハウ伝承の意味でも在庫管理や発注などの社内の業務管理も徹底したかった。
豊氏は半年間考えた末、「責任は大きいが何でもできる、森永商会で働いた方がやりがいがありそう」という気持ちが背中を押した。
豊氏の入社後、主に管理面で改革が行われた。従来の手法から転換した場合に社内が混乱することがあるが、聡氏は豊氏が新たにやろうとすることを否定せず“良い放任主義”を貫いた。
聡氏の支えと豊氏の奮闘があり、手書きの台帳はシステム上で管理され、営業情報もシステム上で共有できるようになった。同社では緊急性が高い商品が多いため在庫や納期管理の徹底は重要だ。Web上での情報発信にも注力し、受注にも繋がっている。
「(豊氏は)自分ができない分野に注力し、結果に繋がっている。本当に感謝しています。」力強く聡氏は言い切る。兄弟だからたまに意見をぶつけ合うこともあるが、一緒に育ってきたからこそ。家業を大切に想う気持ちは2倍だ。
一層顧客の役に立てるよう、お互いを思いやりながら今日も大阪のものづくり現場を支えている。
(取材・文/大阪産業創造館マネジメント支援チーム プランナー 中尾 碧)