熱い魂が伝播する中小企業応援サイト

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【長編】安定事業を無償譲渡。シリコンバレーに乗り込んだ起業家の挑戦。

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IT企業EC studioを2000年に立ち上げ、中小企業のIT化支援を軸足に順調に事業展開していたにもかかわらず、2012年に社名をChatWorkに変更して再出発をはかった。具体的には、軌道に乗っていた事業を無償譲渡し、新たに開発したクラウド型ビジネスチャットツール「ChatWork」に経営資源を集中。同時にシリコンバレーにアメリカ現地法人を設立し、山本社長自ら現地に移住するという大胆な行動に出た。なぜ危険な賭け(?)とも思えることにチャレンジするのか。その理由に迫った。

――社名を変更して再出発をはかるとき、ブログでその経緯を発表されましたね?

12年間も親しんだ社名を変更し、事業を無償譲渡してアメリカで再出発を図る――。これをブログ上で宣言したのですが、もちろん勇気がいりましたよ。うちには30人の社員がいますからね。でも、それなりに知名度のある会社に成長し、売上を安定的に伸ばしていた事業もありましたが、そうした状況に甘えがあってはいけないと思い、退路を断つ決断をしました。

ではなぜ経営資源を集中し、シリコンバレーに行こうと思ったのか。「それは、この閉塞感漂う日本を何とかしたかったから」。当社の経営ビジョンは「IT経営で日本を、そして世界を変える!」です。このビジョンを前提に、中小企業のIT活用を促進するためのあらゆるチャレンジをしてきました。そして2010年に「ChatWork」というクラウド型ビジネスチャットツールを開発したことで、僕たちがめざす日本の中小企業のIT活用に光が見えてきました。

ところが、ひとたび日本経済に目を転じると、マーケットが縮小を続けて日本経済の未来は暗いままです。さらに中小企業の新たな課題としてグローバル展開が挙げられますが、なかなか一歩を踏み出せない企業が多い。たとえ海外に出ていたとしても、成功している中小企業は少ない。

そこで、日本の中小企業が求められているグローバル化についても自社の問題であると捉え、ChatWorkというプロダクトで自ら海外展開し、うまくいったノウハウを公開しようと考えたんです。万が一、うまくいかなくても、その挑戦のプロセスを詳細にレポートすれば、これから海外展開をめざす中小企業に役に立つだろうと。

日本経済は中小企業が支えていていますが、その中小企業の元気がない。この状況が続くと日本が本当にだめになる。だから僕らが中小企業を元気にしたい、そう考えたんです。

――山本さんの行動は一般のベンチャーとは一線を画していると思うんです。安定した事業を無償譲渡し、日本を憂いて自ら先陣切って行動する。そのプロセスすら、後進のために公開する。その意気込みはどこから来るんですか?

どこから来ているか……それは創業した2000年ですかね。当時はまだ学生で、アメリカに1年留学したんです。そのときは「アメリカはどんなにすごい国だろう」と期待していたのですが、行ってみると、なんていうかアメリカのダメなところばかり目についた。「なんでこんな国が世界一の経済大国なんだ」と疑問に思ったり、「日本人はおいしいところばかり持っていかれているのでは」と憤りまで感じたり。

日本を飛び出して初めて日本人の優秀さにも気づきました。日本人は真面目で技術力があり、ものづくり大国を築いた。なのに、その技術力もアメリカ企業の食い物にされているのではないかと(笑)。くそーっと思いましたね。僕は体育会人間で格闘技をやっていたので、「アメリカに負けたくない」「アメリカを倒す」みたいな(笑)。当時はまだ21歳、血気盛んな頃だったんです。

アメリカに留学中の2000年に会社を立ち上げた際も、「アメリカを倒す」という気持ちが強かった。だから帰国後もアメリカを敵対視した話ばかりしていたんです。その思いが別の方向に向いたのは、ある経営者からもらったひと言です。

会社経営に行き詰まりを感じていた2004年ごろ、先輩経営者に話を聞いてみようと思い立ち、1000人の経営者の方にお会いすることにしました。そのとき、ある経営者からこのように言われたんです。

「山本君、君のその思いは悪くないが、『血気に老少ありて、志気に老少無し』という言葉がある。いまの君にぴったりや。」

これは江戸末期の儒学者・佐藤一斎の言葉らしく、文字通り「血気盛んなモチベーションは年齢と共に衰えても、志によるモチベーションは生涯衰えない」という意味です。この言葉を聞いた瞬間、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けましたね。「なるほど、アメリカを敵対視するのは血気盛んな証拠だ。俺はアメリカを倒したいんじゃない。日本を良くしたいんだ」とそのときストンと心に落ちました。それ以来、「ITを通じて日本を良くしたい」と言い続けています。

――会社が成長して有名になると、たとえば本社を移転したりしそうですが、御社は本社を大阪府吹田市に置き続けていますね?

なんででしょうかね。一つ言えるのは、流行りには絶対手を出さないということです。僕たちがやるのは、あくまでITを通じて日本を良くすることだけと決めています。たとえば同年代の経営者は時流に乗ったビジネスを展開し、どんどん上場していきました。だからもちろん焦りもありましたよ。でもモバイルしかり、フラッシュマーケティングしかり、最近のオンラインゲームしかり……そうした流行には絶対に手を出さないと決めた。

正直、創業後の10年で出資や業務提携などの話がたくさんありました。でも他の資本は入れないと決めたんです。それをブログで宣言すると、なぜか出資の話が殺到して困りましたけどね。もちろん全部断りました。

なぜ出資を受けないのか。会社を大きくした経営者の方のお話をうかがうと、総論としては「資本を入れないほうがよかった」とみんな言っていたんです。「会社は30人、40人くらいまでが楽しかった。50人を超えると家族経営から会社組織になり、誰が誰だかわからない」。そう言ってどこかさみしそうなんです。

――山本さんのお話をうかがっていると、家族的な中小企業の良さを残しながら、企業としての成長をめざされているように思います。そのあたりの意識は?

ありますね。何かを得たら何かを失う、とよくいわれます。たとえば仕事をがんばったら家庭がおろそかになるとか。僕はそういうのをあきらめたくないんです。仕事をがんばって家庭がおろそかになるのは、努力や工夫が足りないだけじゃないのかと。考えて工夫すればできるだろうと。自分や自社の可能性をせばめたくないんです。

これは小さい頃から変わらないかもしれないですね。子どもの頃から、他の人ができることはまったく興味ないんです。誰かができるなら、誰かがやってよと。そのかわり、みんなが諦めたことは、めっちゃ燃える(笑)。

両方手に入れる方法をみんなが諦めているのなら、僕が実践して「ほらできましたよ」と言ってみせたい。理屈や机上の空論だけで物事を組み立てるのは好きじゃないけど、まず行動して「はいできました」と結果を出す、そんな実践ありきの方法でやってきました。そうすると誰も文句言えないですよね。

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――シリコンバレーの挑戦もまさにそうですね。それにしても、築き上げた事業を無償譲渡し、シリコンバレーで勝負する、そんなことが社内で本当にすぐ決まったんですか?

僕たちは常々変化に強い組織、「思い立ったらすぐ行動」を心がけているんです。だからChatWorkの可能性が見え始めた時点で、そこにチャレンジしようと幹部会議で議論しました。結果、数時間の議論を経て、ChatWork一本に絞り、既存の事業は統廃合することに決まりました。ちなみに社名変更案は5分で決まりましたからね。

また、2005年に書いた僕自身の目標の一つに、「シリコンバレーで会社設立」というのがあったんです。実際には、そんな目標を書いたことすら忘れていたんですけどね。アメリカへの移住が決まって事務所を整理しているとき、その紙が偶然見つかりました。

さらにいえば、アメリカに留学後の2001年以降、「シリコンバレーで成功するってどういうことだろう」と考え始めていました。たしかイチロー選手が何かを成し遂げるには10年かかると言っていましたが、振り返ると僕もシリコンバレーを意識し出してから約10年で会社を設立してる。それがわかったとき、「やっぱり10年かかるんだな」と実感しました。

ちなみに、次の10年目標も決めています。それは「伊藤穣一さんのように、日本に希望を与えられるような存在になる」ということ。これは2年前に考えたので、実質あと8年です。伊藤穣一さんの存在は偉大ですし、彼のようになりたいという意味ではなく、自分なりのやり方で日本に希望を与えたいということです。

――話は変わるんですけど、シリコンバレーに会社をつくる前、山本さんご自身がアメリカのベンチャー企業にインターンシップし、2ヵ月間修行されましたね?なんで社長の山本さんが?

日本の中小企業にとってグローバル展開は今後避けて通れません。ですが現状、世界で戦うことができている企業は少ない。なら自分たちがやってしまおう、ということでアメリカの展示会で当社のプロダクトをプレゼンしたんです。結果、出資の話は来ましたが、ユーザーを獲得できませんでした。

アメリカに1年留学し、その後も年に1回はシリコンバレーに視察に来ていたので、アメリカ人の気持ちはある程度はわかっていると思っていたんです。でも結局、何も理解できていなかった。ならばもう、アメリカ人の働き方を知るには、アメリカの会社で働くしかないと思ったんです。

――そういう考えに至るのはわかるのですが、実際に行動するにはハードルが高いですよね…。

まあ、向こうのトップも、「なんで社長のお前が来るんだ」と不思議がっていましたよ(笑)。僕はアメリカ市場を狙いたいからインターンさせてほしい、そのかわり日本でのプロモーションのノウハウはあるので提供する、そんな感じでバーターの提案をして納得してもらいました。

創業からの変遷を振り返ると、ピアノ線のような細い綱の上を渡ってきていると実感します。前を向いて歩いているときは、「何とかせなあかん」と必死ですけど、振り返ると崖っぷちを歩いていたことに気づく。たとえば崖の向こうに行きたいけれど、細い綱しか渡っていない。崖の向こうに行けば素晴らしい世界があるかもしれないけど、バランスを崩して綱から落ちるかもしれない。その時点で、多くの企業はいまの地に留まると思いますけど、僕らはリスク承知で必死に綱を渡ってきていまがあるんです。

小さいころから後悔するのが大嫌いだったというのも影響しているかもしれないですね。行動せずに後悔するくらいなら、行動して失敗したほうがいい。周りからはうまくいっているように見られているけど、僕なんて打率1割以下ですから。ほとんど失敗ですよ。ただ、思い立ったらすぐ行動するので、打席に立っている回数は多いと思います。

――シリコンバレーに会社をつくられて、いま一番大変なことって何ですか?

先ほども話をしましたが、アメリカ人の考えがわからないことですかね。価値観が違うというか、アメリカ人の言動や行動にいちいち違和感があるんです。しょうもない話ですが、「何でそんなにピザばかり食べるのか」とか(笑)。

あと、アメリカでは忙しくても夕方には帰宅し、家族と夕食をすませてから家で残りの仕事をする。それが普通なんです。だからアメリカ人の生活、働き方や考え方をもっとよく理解してからじゃないと、「ChatWork」を広めるのは難しいと思っています。

とはいえ、「ChatWork」をローカライズするつもりはありません。国ごとに仕様を変えるのではなく、まずアメリカで機能をそぎ落として洗練させれば、全世界に通用すると思っています。

――山本さんは、アジアのマーケットはどう捉えていますか?

アメリカで働き出して改めて思ったのは、日本人は優秀だということ。ただ、世界で勝負するには、日本にいては圧倒的に情報が足りないんです。だからヒト・モノ・カネ・情報が集まるシリコンバレー、緻密で正確なものづくりが得意な日本、マーケットが拡大している東南アジアを3極に分けて考えれば、日本人の役割と価値が明確になると思ったんです。この構想が実現できれば、日本は世界で最も優秀なオフショア拠点になる可能性もありますから。

――では最後に、将来起業したい人や、すでに起業してがんばってる人に山本さんからアドバイスをいただけませんか?

アドバイスですか。うーん、そういうの苦手なので……。僕からねえ。まあ、いってみれば普通にやってるだけですからね。だから……。

――もういいです(笑)。山本さんの行動自体がメッセージですもんね。私たちも今後の展開をfacebookで追いかけますね。本日はありがとうございました。

「ChatWorkシリコンバレー挑戦日記」

https://www.facebook.com/silicon.valley.challenge

2012年12月10日
ChatWork(チャットワーク)株式会社
代表取締役  
山本 敏行 氏

設立年/2004年 従業員数/30名  事業内容/2000年、中小企業のIT化を支援するEC studio(現ChatWork)を創業。2004年の法人化以来、社員第一主義を貫き、2年連続「日本一社員満足度の高い会社」に認定される。現在は山本氏自らシリコンバレーに居を移し、海外展開普及に力を入れる。https://www.facebook.com/silicon.valley.challenge

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