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語り継がれる「鉄工所は大きしたらあかん」 小さくても強い会社で次の百年へ

中川社長

先祖の声なき声をかたちに

工場兼本社2階に「中川鉄工ミュージアム」という一室がある。中に入ってまず目につくのは、創業からの歴史をまとめた大きなボード。創業者の写真や戦前戦後の工場風景などが年代ごとに並ぶ。「祖父母の遺品を整理していた際、古い写真がたくさん出てきました。ご先祖様が会社の歴史を繋いできてくれたと再認識した」と四代目の中川裕之社長は説明する。

創業は1917(大正6)年。初代・中川新次郎氏が中川鉄工所という小さな鍛冶屋を開業したことに始まる。その後、造幣局の設備修理や軍需品の製造に従事したが、太平洋戦争末期の大阪空襲で工場が焼失。ゼロからの出発で途方に暮れたが、戦地に動員された三兄弟のうち、同氏の祖父で二代目の中川楠雄氏のみ奇跡的に生還。

新次郎は「我々が日本のものづくりの底辺を支えなくて誰が支える」と立ち上がり、1946(昭和21)年4月、中川製作所として再出発することになった。

中小のものづくりは信頼関係ありき

事業再開後、新幹線の車両部品やプラント設備の機械加工に事業領域を拡大していくが、1973年のオイルショックで廃業を余儀なくされるほどの経営難に陥る。「そのとき私の父が祖父をサポートし、からくも事業を続けられたと聞いています」。そう裕之氏が説明するように、長い歴史の中で危機があるたびに一族が団結して会社を守り続けてきた。「創業者の時代は二代目の祖父が、祖父の時代は三代目の父が、父の時代は四代目の私が、常に番頭として支えてきたんです。そして今は弟の専務が支えてくれています」。

そんな中川家は三世代同居を代々続け、家族の会話の中で自然と人間教育が行われてきたという。「中小零細企業は今も昔も変わらず人と人とのふれ合いが大事。祖父や父から教えられた信頼関係の大切さ、感謝の心が今も支えになっています」。そんな同社は従業員も家族同然で、「100年の歴史で社員を会社都合でクビにしたことは一度もない」と胸を張る。

鉄工所は大きしたらあかん

裕之氏が会社を継いだのは2008年。直後にリーマンショックが起こり、受注が激減した。帰休制度等を実施するなか、攻めの営業に転じるために従業員全員の名刺を作成。「居酒屋でも近所の人でもええから、自分達で会社をPRしてこいと発破をかけた」。

この奇策が諦めムード漂う社内を活気づけ、新規受注を勝ち取り、難局を乗り切った。「さらに危機を脱した根底には『鉄工所は大きくしたら潰れる』という家訓が生きている」というように、身の丈に応じた経営に徹してきたからこそ、経済変化の荒波に飲まれずに済んだ。

取引先との信頼関係を前提とした商売を大切にする一方、「時代の変化に応じた経営も大事」と同氏。現在、長年培った加工技術で航空機市場にも参入しているほか、自社商品の開発にも挑戦中だ。「創業100周年を迎えたあとは、創業200年をめざす」と力強い。

〝メイド・イン・大阪ジャパン〟を打ち出すため、大阪弁をちりばめてまとめた会社の歴史。

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同社の歴史を物語る写真。「ご先祖さんの写真が出てきたとき、『もっと頑張れよ』と励まされているようでゾクッとしました」と裕之社長。

同社の歴史を物語る写真。「ご先祖さんの写真が出てきたとき、『もっと頑張れよ』と励まされているようでゾクッとしました」と裕之社長。

工場は汚いというイメージを刷新し、魅せるオフィスを意識してリフォームした打合せスペース。

工場は汚いというイメージを刷新し、魅せるオフィスを意識してリフォームした打合せスペース。

(取材・文/高橋武男)

2015年04月09日
中川鉄工株式会社
代表取締役  
中川 裕之氏

事業内容/2017年に創業100年を迎える。プラント関連部品を中心に鉄道車輛、理化学機器部品、真空機器部品、原子力関連部品、航空機部品などの機械加工を得意とする。

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