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今ふたたび注目される日本の伝統技術「左官を後世に残す」

2014.04.09

高度経済成長の勢いに乗り成長
白髪にサングラス、スーツの裏地は真っ赤でネクタイも赤、そして胸にはいつも太陽マークのペンダント。左官職人を束ねる浪花組の三代目・中川貢氏のトレードマークだ。1922(大正11)年、「浪花組曽我長三郎」として事業を開始し、1955年に貢氏が三代目に就任。迫力のある風貌に加えて、人から慕われる人間力を背景に、浪花組を左官業のリーディングカンパニーとして成長させた。

1955年に社長に就任した三代目社長の中川貢氏

「事業拡大の転機は高度経済成長の勢いに乗ったことだと聞いています」。そう語るのは貢氏の孫にあたる現会長の中川果林氏。建設のつち音が響く当時、建物の壁や床などを鏝こてで塗り仕上げる左官業は花形だった。東宮御所や迎賓館赤坂離宮などの歴史的建造物の左官工事を引き受けて実績をつけ、さらに、昭和初期より維持していた東京の事務所は、戦後の富士山頂気象台や東京タワー等の現場で勢いを増し本店となるまでに至った。以降も札幌、福岡、名古屋、横浜などに支店ビルを構え、現在は4つの営業拠点で事業を展開している。

創業当時の社屋

浪花組に頼めば何とかなる
事業拡大のポイントは左官職人の数を大幅に増やしたこと。新大阪駅の工事の際には数百人の職人を短期間で集めて信頼を得た。ピーク時には千人を超える職人を抱え、「天下の浪花組」と称されるほどに。「浪花組に頼めば職人を集めてくれる」「浪花組は仕事が早い」と評判になり、日本の名だたる建築物の左官工事を次々受注していった。近年では、たとえば東京駅や甲子園球場のリニューアル工事を始め、J R 京都駅ビル、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン、阪急百貨店などの左官工事を手がけている。

高度経済成長とその後のバブル経済で業績は右肩上がりを続けたものの、バブル崩壊の打撃を受けて売上げが低下。さらに昨今の建築現場は効率化で乾式工法などの使用が増え、左官職人が腕を振るう壁が少なくなっている。加えて左官仕事の多くが下地づくりとなり、表に出る仕事が減った。

「課題は若い人の定着率の低さに加えて、職人不足と高齢化による技術伝承」と言う。現在は「背中を見て覚えろ」と若手を突き放すのではなく、面倒見をよくし、マンツーマンで育てる方針に切り替えている。

左官職人は一人前とみなされるまで7年を要する。

日本の伝統技術である左官を若者にアピール
老舗として守り続けているのは三代目の時代に策定した『浪花組十戒』。同社が守ってきた、そしてこれからも守っていく行動指針を定めた言葉が並んでいる。

左官工事が必要となる「壁」が減っている一方、珪藻土や漆喰、土などの自然の素材を用いた環境にやさしく、職人の手仕事で表現される深い味わいを持った左官仕上げの壁がふたたび注目され始めている。「今後は若い人に左官の魅力をアピールし、日本の伝統技術を後世に伝え広めていきたい」と同氏。そのために若手育成のしくみをつくり、全国4つの拠点のネットワークを強化して仕事の幅を広げる考えだ。

代表取締役会長 中川 果林氏

(取材・文/高橋武男)

株式会社浪花組

代表取締役会長

中川 果林氏

http://naniwagumi.co.jp/

日本の伝統技術「左官」のリーディングカンパニー。「天下の浪花組」と称され、日本の名だたる建築物の左官工事を受注してきた。現在は約800名の左官職人を抱える。
大阪、東京、神奈川、名古屋の4拠点で展開。