「何もしない」は衰退と同義 変わり続けなければ存続できない
外部の力にも頼る創業家の柔軟さ
老舗企業は所有と経営が一体化したオーナー企業が多いなか、三木楽器の8代目社長を務める古山氏は創業家でもなければ生え抜きでもない。5年前に同社の主要仕入先から専務として入社し、2011年に8代目に就任したという異色の経歴を持つ。
「もっとも当社は歴史的に外部人材をよく招き入れてきた会社なんです」。そう語るように、7代目までは三木一族が社長を承継してきたものの、そのうち約半数は養子か婿養子が就任している。「当社が新規事業に挑戦しながら存続してきたのは、外部人材を取り込む創業家の柔軟な考えがベースになっていると思います」。
楽器販売を守りながら新たな事業にも挑戦
三木楽器の創業は1825(文政8)年。「河内屋佐助」と称して貸本屋からスタートし、書籍業として事業を拡大させてきた。創業から63年後の1888年、四代目・三木佐助の時代に新規事業として楽器販売業務を開始。先例のないなか、西洋の著名な楽器の輸入や楽譜の翻訳、出版業を手がけた。
同社は楽器販売のイメージが強いが、新たな事業にも挑戦している。大人・子どもを対象とした音楽教室事業に加えて、とりわけ力を入れているのがイベント事業だ。「イベントの開催数は年間200~250回。楽器店として当社ほどの量と質を担保しているのは世界中探してもないと思いますよ」と自負する。
関西の高校・中学校による軽音楽系のクラブコンテスト『スニーカーエイジ』は、1979年にスタートして以来、34回開催。「実は34年間、ずっと赤字」と語るように、イベント事業は非効率でほとんど収益を上げていない。「それでも続けている理由は、音楽の普及活動という意味合いに加えて、お客さんと感動を共有したいから」。
何もしなければ5年先はない
老舗として守り続けているものは何かと質問を向けると、20数年前の経営危機を例に挙げる。当時、拡大路線が裏目に出て、創業以来の経営難に陥った。その際、経営改革の一環として掲げた「OUR COMPANY」。「これは一部の経営陣が実権を握るのではなく、社員一人ひとりが夢と希望を持って会社を動かすという意味」。その具体的な成果として従業員持ち株会を発足し、いまでは40%を保有する筆頭株主となっている。
同氏が社長に就任以来、この精神を社内に根づかせるため、ジョブローテーションや部門を超えた外部研修の開催で全社的な交流を図っている。
昨年、グランフロント大阪に『M I K Iミュージック・ラボ』を開設し、社員たちの力で運営させている。それがキッカケでEVスポーツカーを製造販売するベンチャーとのコラボが実現し、仮想エンジン音の開発に発展した。
「この先何もしなければ5年先はないと思っています」。そう表情を引き締める同氏は、「経営環境が厳しさを増すこの時代、経営の効率を追求するか、非効率を追求する中で収益につなげる事業モデルをつくるのか、この二者択一が迫られる。当社は後者をめざしたい」と力を込める。
▲1900年に出版した『鉄道唱歌』。爆発的ヒットを記録。
▲創業100周年記念で新築した本社ビル。
▲音・音楽の「すごい」「おもしろい」を紹介するM I K Iミュージック・ラボを開設。
三木楽器株式会社
代表取締役社長
古山 昭氏
大阪市内を中心に楽器店を6店舗、音楽教室を42会場展開するほか、音楽イベントの企画・制作、中古楽器・中古ピアノの販売・買取、ピアノ調律、音響・防音工事など音楽・楽器関連事業を幅広く展開する。