引き継いでいってほしいのは 日本のものづくりの魂
息子が小さいころから、会社を継がなければならない、ということは伝えておったんです。だから25歳くらいまでは自由にせえ、ということも言うてました。入社前にはいったん外の会社を経験してほしいと思い、あえて販売の強い友人の会社へ修行に行ってもらいましてね。私はものづくり一筋の人間ですから。そうすればお互いの補完できるやろ、と。
店の現場のことはなにもかも任せきってます。何の不安もありませんよ。僕の現場はつくるほうですから、僕が店頭でボケアホ言うたらえらいことやわ(笑)。
でも社長をさせるのはほんまはかわいそうやと思てました。普通に考えたら社長なんてええことひとつもない。会社の総責任者やから、箸が転んでも社長の責任。社長をゆだねたときは、経営者としての練習するのにちょうどいい規模やということで譲りました。
僕の経営者友達はみな会社を大きくしすぎて継承に苦労してます。僕は事業を引き継いでくれるだけでも十分や思とるんです。自分の魂を伝承してくれるのは息子やと思った。だから逃げられたら困ると思ってましたね(笑)。
会長の真似をしようとはするなと伝えたことがあります。わしかて彼の真似しようと思ったってできないんやから。真似では絶対追いつかないし、大きならん。お互いに得意なことがあってえんちゃうの。
ぼくは昭和30年、15歳のときに丁稚で入ってからずっと、靴下の世界におるんです。その当時から、日本の靴下の技術は世界一やったんです。だからこれを守らなきゃいけないと思ってるの。単にメイドインジャパンだからじゃない。日本人には世界で一番ええものをつくれる技術があるから守るの。
だから「私たちは世界で一番の靴下総合企業になります」というビジョンを掲げました。国内でどうのじゃない。世界一をめざさなあかん。日本のものづくりを守るというのは、世界で一番いいものを作ることなんです。
今考えているのが、国産の綿花を使った靴下の商品化。奈良県にある休耕田を使って綿花を育てて、研究を重ねてやっと靴下に使える糸になった。タビオは種から糸をつくる。
でも、ちゃんとした靴下をつくれる日本の工場はどんどん廃業してしまってる。なんとしても後の世代にもこの日本のものづくりを守らなあかんのです。海外から見ても、日本のものづくりは次元が違う。日本人は誇りに思わなあかん。だからわしらも天地のために心を立てていいものをつくるだけなんや。
代表取締役社長 越智 勝寛 氏(右)の記事はコチラ
→ タイプも得意分野も正反対 でも共にめざすのは世界
誌面では紹介しきれなかったロングインタビューはコチラ
→ 得意分野を補い合いながら、日本のものづくりの魂を守り抜く
(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)