大阪で生き抜く覚悟を再確認できた「おかんパン」

「世界を敵に回してもおかんはあんたの味方やで!」「あんたの親の顔が見たいわって…私やったわ!」——。大阪のおかんの愛とノリが詰まった語録がパッケージに書かれた「おかんパン」が、大阪みやげとして人気を集めている。開発のきっかけは、「大阪に根付いたベーカリーであることを、もっと知ってほしい」という思いからだった。

同社が展開するクックハウス本店
株式会社ダイヤは1946年、和菓子職人だった現代表・多田氏の祖父が、戦後の食糧難の時代に「日常で食べられるものを」とパン作りに挑んだことから始まった。「ダイヤパン」の名で当初は市場周辺で店を増やしていったが、「人が日常で行き来する場所に出店を」と1963年に梅田の“元祖”地下街「Whity(ホワイティ)」のオープンとともに出店。その後、2代目である父親は2003年に近鉄上本町の駅構内などにエキナカの先駆けとして出店を積極化した。

代表取締役社長 多田 俊介氏
コロナ禍では逆風にあおられ、売上げは4割減少した。危機を打開するため、多田氏が社長に就任。金策に追われながら訪ねた金融機関からのすすめで、従業員の満足度調査を実施したところ、「大阪に根付いたベーカリーであることに誇りを持つ従業員が多いことを知った」という。一方で、同社が大阪のベーカリーであることを知らない人が多いという現実もあった。それならば商品で大阪らしさを前面に打ち出そうと考え、従業員から「おかんが言いそうなことを語録として打ち出せば、身近に感じてもらえるのでは」とのアイデアが出された。
商品開発のメンバーで「おかんがよく言うてた言葉」を募ったところ100個ほどになり、そこから12個に絞り込んだ。同社で売れ筋の、手のひらサイズの菓子パン「ミルクパン」の包装に「おかん語録」を印刷。「おかん」のキャラクターを作り、その焼き印をパンに押した。

2024年7月、6個入りを1日100箱限定で発売したところ、連日昼前に売り切れる店舗が続出した。売れたら売れたで問題も起きた。「一つひとつのパンに焼き印を押すので、そんなに量は作れず、焼き印の作業に追われる従業員から苦情が出始めたんです」。そこで、近隣の就労継続支援B型事業所に作業を委託した。「結果的に、地域とのつながりがより密になりました」と多田氏。何より「おかんパン」をきっかけに従業員からさまざまなアイデアが出されるようになり、父の日限定で「おとんパン」も商品化した。「インバウンド向けに、それぞれの国のおかん語録も出せるのではないか、という意見も出ています」。

一時は東京に出店しようと考えたこともあったが、今ではより大阪に軸足を置き、“日常に寄り添うベーカリーでありたい”という思いを強くしている。

(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)
※掲載写真は、編集部にて撮影したもの以外に、取材先企業からご提供いただいた写真も含まれています。
《 開 発 秘 話 》
「炎上覚悟」で踏み出した挑戦
当初は「おかん」を商品として打ち出すことに対して、「一定の年齢層の女性を揶揄していると批判が出るのではないか」と社内から心配の声も上がったのですが、それでも炎上覚悟で前に進めようと決めました。おかん語録を選ぶ際には、できるだけポジティブな言葉を選ぶようにしました。また、「飴ちゃんあげよか」だけではなく、「なに泣いてんの?飴ちゃんあげよか」と前にひと言添えることで、その情景が思い浮かぶように工夫しました。









