【長編】「常にファイティングポーズ」。 中国で勝負をかける女性起業家の奮闘記
海外に定住してビジネスを行う日本人を「和僑」と呼ぶ。熨斗麻起子氏は「女性和僑」の代表だ。大学を卒業後に中国にわたり、いまや中国人従業員約50人を雇用する飲料水メーカーの経営者として活躍する。日系メーカーが自社ブランドの商品を現地の自社工場で生産する。こうした現地に根差した中国ビジネスの成功事例は限られるなか、同氏はなぜここまでやってこれたのか…その真相に迫った。
>> 大阪生まれの熨斗社長が中国に渡られたきっかけを教えていただけますか。
本当にたまたまだったんですよ。海外で日本語教師になりたくて、大学では日本語教育を専攻しました。そして4回生のとき、こぼれ球のようにいただいたのが中国での仕事だったんです。卒業年の1995年、中国・湖南省の湖南師範大学で念願の日本語教師として働けることになりました。
教師の仕事は充実していましたが、生徒をインターンとして日系企業に送り出したとき、教えてきた日本語が役に立たなかったんです。学校で覚えた日本語を、いきなりビジネスの現場で使うのは無理があるっていうのは、いまならわかりますよ。でも当時の私は、「社会で活躍できる人を育成できていない」と思ってしまったんですね。
そこで教師としてひと回り成長しようと、いったん退職して日本の企業で働くことにしたんです。日本に帰国して就職活動をする予定でしたが、帰国の途中に立ち寄った香港で試しに日系人材紹介会社に登録したところ、中国・深圳(シンセン)の日系部品メーカーを紹介されました。経験がなくても採用してくれるという条件だったので、日本に帰る必要もないと思い、その会社で働くことにしたんです。
>>教師とは異なる世界で大変だったのでは?
1997年に入社し、最初は購買管理の責任者になりました。部品の在庫や納期を管理する仕事です。右も左もわからないなかで仕事はもちろん大変でしたし、想定外の問題が毎日のように発生していつも大混乱状態でしたね。でもいま思えば、日本企業の資本が入っている会社内での話なので、まだまだ日本のビジネス圏内での苦労です。本当の意味での中国ビジネスの難しさは、独立してから痛感することになります。
その後、生産管理や営業を経て、製造部長に就任したあと、2002年、30歳で転機が訪れました。勤務していた会社の社長から、飲料水ビジネスの会社を共同設立しようと誘われたんです。当時の中国は人件費が高騰し始めていた時期で、「このままプレス加工だけではやっていけない。生き残るためには自社ブランドを持つ必要がある」とその社長が考え、いろいろな事業アイデアを出していました。そして最終的に残ったのが飲料水ビジネスだったわけです。
当時の中国は経済発展とともに環境汚染が深刻化し、安心して飲める飲料水のニーズが高まっていました。加えて、自社工場のワーカー用に独自に開発して設置していた飲料水装置が口コミで取引先に広がり、「御社の水はおいしいので持って帰りたい」という要望が出始めたんです。ならばこれをきちんと事業化し、飲料水を販売するビジネスを展開すれば商機があるのではないかと考えたわけです。水事情の悪い中国で水を売るのは面白いと私も感じ、退社して共同出資者になりました。
>>日系メーカーが中国で水ビジネス…ニーズはあるとはいえ、ハードルが高そうです。
まず大変だったのは、従業員を食べさせることですね。中国人従業員33名も一緒に働きたいと新会社に加わったんです。創業メンバーは日本人が4人、部品メーカーの工場長をしていた中国人の男性1人の計5人です。総勢38人の大所帯で独立したのはいいものの、まだ商品がないので売上げも立ちません。人件費や経費だけが湯水のように出ていく状況からのスタートです。ありえないでしょ(笑)?
ともあれ、こうして2002年に現地工場を設立し、「蘇生水」という自社ブランドのボトルウォーターを開発しました。私は営業責任者として蘇生水の販売活動をスタート。まず現地に工場を持つ日系企業にローラー作戦で営業攻勢を仕掛けました。
当初は日本ブランドを前面に出して、ボトルには日本語を書いていたんです。ですが途中で方向転換しました。反日運動で日本製品の不買運動が起き、日本語が逆効果になってしまったからです。中国では残念ながら、日本ブランドが裏目に出る時期があります。自社ブランドを展開する日系企業にとっては難しい問題です。
>>営業活動では具体的にどのような苦労がありましたか?
お金の問題ですね。日系企業との商習慣の延長で、代金後払いで中国の地元の企業に商品を発送したら、見事に踏み倒されました。これに関しては納品時の現金払いで解決しました。ほかにも借りていた工場を追い出されたり、詐欺まがいのお金のトラブルに巻き込まれたり……日本のビジネス社会では考えられないような問題が次々とやってきます。
中国では想定外の問題のオンパレードで確かに大変ですが、反面、そこが面白い点でもあります。「上に政策あれば、下に対策あり」ということばが中国にはあるように、問題が起きても打てる手が多いんです。だから案外、なんとかなる。そもそも中国のビジネス環境は守られないルールが多いですから(笑)。どこから狙われるかとビクビクしながら、常にファイティングポーズをとっている。まるでサバンナのインパラの心境です(笑)。
>>その後、社長に就任された経緯は?
実は発起人の社長が、会社を立ち上げて半年ほどで引退されてしまったんです。もちろん「えええええー?!」って愕然となりましたよ(笑)。でも40人近くの従業員がいますからね。何とか彼らを守らないといけない。やるしかなかったんです。その後も問題に遭遇しながらも、とにかく営業をがんばりました。途中から中国人経営の代理店に卸す販売方法に変更して販路を拡大し、2006年に年間売上げ100万本を突破しました。
ところが今度はほかの共同経営者が別会社を立ち上げ、独立することになったんです。当時、中国で排水処理のニーズが高くなり、飲料水とは別に排水処理を扱う事業部もつくっていました。その事業が軌道に乗り、のれん分けすることになったんです。
結局、この会社に残った創業メンバーは私だけになり、必然的に総経理(社長)になりました。私は起業家といわれていますが、自ら望んでこの立場になったわけではないんです。自然の流れでここにたどり着いたというか。
>>図らずも社長に就任されることになり、どのような心境でしたか?
私は社長として組織を牽引しているというより、従業員たちと一緒に仕事をしているような感じなんです。共同経営者は独立していきましたが、この会社を立ち上げる際に一緒に来てくれた33名の従業員の多くがまだ残ってくれています。いまの副社長の男性は、部品メーカー時代に私の下で働いてくれていたスタッフですし。彼とはもう20年近くの付き合いです。
今、私が中国で会社を経営する原動力は何かといえば、「なにくそ」と思った経験です。ある日本人から「中国で水ビジネスなんて1年持てばいいほう」と言われて。「それならやってやろうじゃないの」と俄然やる気が出ましたね。人は誰でも反骨精神って持っているじゃないですか。
>>中国ビジネスを成功させる秘訣は何ですか?
私の場合、ここまで会社を続けてこられたのは中国人の仲間たちのおかげです。私は日本人なので、中国では外国人です。だから中国で仕事をさせていただいている立場です。日本人の私だけで中国でビジネスをうまくやろうなんて考えてもまず無理です。中国ビジネスを成功させるためには、現地の信頼できるパートナーと一緒にやるのが大切なんです。
もちろん、中国人と一緒にいて、「なぜ?」と思うことはよくあります。国民性も商習慣も何もかも異なるから、違って当然なんです。たとえば日本語教師時代、生徒が私の家に突然、訪ねてくることがありました。日本ではマナー違反だと思いますが、「どうして連絡もせずに家に来るの?」と理由を聞いてみると、中国では約束せずに家を訪ねるのが礼儀だというんです。なぜなら、何日に家に行くって約束をしてしまうと、相手に準備をさせてしまうから。中国ならではの気の遣い方だったんですね。
異国の地で暮らしていると、このように「なぜ?」と思うようなことがたくさん起こります。日本人の尺度ではダメなことでも、彼らには理由があります。私はこの両者のミゾを埋めたいんです。だから私は不思議に思ったら、相手に必ず理由を尋ねます。理由がわかれば、こちら側がどう振る舞えばいいのかわかりますし。理由も聞かずに「失礼なやつだ」と思うだけでは、相手とのミゾは深まるばかりです。
これって、別に中国だけの話ではなく、日本人同士でもそうじゃないですか。「どうしてそういう行動を取るのか」「どうしてそう考えるのか」――理由を確認し合うことで、お互いを理解し合うことになる。コミュニケーションの基本だと思います。
>>日本語教師時代の経験も活かされているんですね。
そうかもしれないですね。日本語教師の仕事は、日本語を教えるだけではないんです。相手国の文化や風習、国民性なども全部ひっくるめて教えていく必要があります。生徒を一人の人間として、日本語をうまく使って、日本の文化にいかに溶け込めるように教育するかが問われます。
日本語教師として生徒を教えるのも、会社という組織で経営者として従業員を教育するのも、根っこでは同じだと思うんです。そもそも私は、人が成長する姿を見るのが好きなんです。だから、従業員たちが成長していく姿を見られるのは幸せですね。
>>では最後に、海外で起業をめざしている人にメッセージをお願いします。
“make more mistakes”。とにかく若いうちに失敗しておくこと。その上で、明確なビジョンを持つこと。
海外はいろいろな問題が起きるからこそ、何をしたいのかという明確なビジョンが必要なんです。
また海外では自分が正しくないことのほうが多かったりします。だからとにかく失敗し、その経験から学んでほしいですね。中国では失敗を怖がっていては何もできません。
そうやって海外で活躍し、ぜひ外貨を稼いでください(笑)。あと、日本人の評価を落とすような行動だけは海外でしないでほしいです。そういう人は海外に来ないで(笑)!海外でビジネスをするのであれば、日本の代表なんだという自覚が求められているんだっていうことも忘れないでほしいです。
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可宝得環保技術有限公司
総経理
熨斗 麻起子氏
設立/2002年 従業員数/50名 事業内容/日本のろ過技術
を活用してろ過、活性化させた自社ブランドの飲料水「蘇生水」
を生産販売。地元企業に向けて、現在、年間120万本を売り上げる。