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一歩先の時代を読んで400年の歴史を刻む

創業400年以上の歴史を誇る造船所
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は朝鮮出兵に向かう軍艦を建造するため、全国の大名を通じて優秀な船大工を大坂に結集させる。創業400年以上の歴史を誇る南進造船所は、軍艦建造のため加賀藩(現在の石川県)から大坂に徴集された船大工棟梁の塩屋吉右衛門がルーツで、その後も代々にわたり大阪で船を造ってきたとされる。

1897(明治30)年、15代目となる現社長・池田三郎氏の祖父・池田爲吉が池田造船所を創業した。「父は5人兄弟で全員が家業に従事しました。まさに五本の矢で造船業に力を尽くした」と現社長の三郎氏は説明する。

その後、1942年に現社名に変更。「当時、南洋のアラフラ海に、洋服のボタンの材料になる白蝶貝を採る船を造っていたのが社名の由来」と語るように、「南へ進め」との思いを込めて南進造船所と改名した。また、航海途中の船を修理するため、常時3~4名の船大工をパラオの島に常駐させていたという。

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大阪大空襲で工場と船が全焼
造船一筋で順調に事業を展開していたが、1945年の大阪大空襲で工場と船が全焼してしまう。「旧制中学校を卒業し、船大工の見習いとして働いていた私は大阪大空襲で逃げ回り、何とか助かりました」と壮絶な当時を振り返る。戦後、ゼロからのスタートを余儀なくされたものの、幸い前社長の5人兄弟と現社長、そして50人の従業員がいた。船を海から陸に引き上げるレールを敷き、木造の工場は船大工が建築し、見事に復興して事業を軌道に乗せた。

その後は高度経済成長の勢いに乗り、最盛期には100名の船大工を抱えてさまざまな船を造ってきた。警備艇や巡視艇、漁業取締船、土木作業船、水面掃除船など数多く建造。1950年には創業者の池田爲吉が造船業界で初めて運輸大臣表彰を受賞した。

 

でんぼと会社は大きくなったら潰れる
昭和50年代初期には、まだ順調に受注が来ていた新造船建造から撤退し、修理に特化。「新造船は多くの職人を抱えないといけない。事業が好調なうちに修理に特化することで会社を残せると判断した」という。「でんぼ(腫れ物)と会社は大きくなったら潰れる」と父から聞かされていた同氏は、拡大路線より堅実経営を貫いてきた。

同社には400年以上、事業の存続を支えてきた考え方がある。「一歩先を読んで誠実に愚直に仕事をする」。たとえば船を修理する際、職人自身が仕事をしやすいようさまざまな箇所に手を加える。「狭い船内で職人が仕事がしやすいということは、船員にとっても船内作業がしやすい」。南進造船所に修理に出すと乗りやすい船になって返ってくる。こうして顧客の信頼を得てきたのだ。

次なる一手も打っている。2012年、大阪市立大学と共同で、世界初のプラグインハイブリッド船を開発したのだ。エンジンでもバッテリーでも航行でき、モーターであれば排ガスや騒音の心配もない。今後も改良を重ね、観光船への利用を始め市場化をめざしていく。

201404_nanshinzousen_03▲白蝶貝の採貝船を明治、大正、昭和初期にかけて建造。

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▲造船業界で初めて受賞した運輸大臣表彰。額は船大工作。

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▲大阪市立大学と共同で開発したプラグインハイブリッド船。

 

2014年04月09日
株式会社南進造船所
代表取締役  
池田 三郎氏

創業400年以上の歴史を誇り、現在は主として官庁関係の小型船の造修で堅実な業績を上げる。敷地にはかつて100人以上の職人が過ごした宿泊所や大食堂の面影が残る。昭和の造船所を舞台にしたNHK連続テレビ小説「やんちゃくれ」のロケ地にもなった。

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