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?子どもの頃から「成功したければ他人が遊んでいるときに努力しなさい」と母親に言われて育った。高校卒業後、がむしゃらに働いた。他人より頑張って働いていれば安心できた。そんな自分への信頼の言葉ともいえる。そして、信じられる自分でいるためには「小さな成功体験を積み重ねる。そして不運なことは忘れてしまうこと(笑)」。実に明快だ。(表紙から続く)しかし最初の危機は開業一年目にやってきた。客足は一向に増えず、日商がわずか一万円の日もあった。結婚して子どもも生まれたばかりなのに、貯金は見る見るうちに減っていく。夜は眠れず、食事も喉を通らない。店の軒先に出ては、夕暮れを眺めながらただただ焦る日々が続く。「このままではアカン」。先人の経営書を読み漁り、当初から温めていた均一価格業態を研究。起死回生をかけ、全品250円均一に踏み切ったところ、急激に客足が伸び、売上も上がっていった。しかし、大規模店のようにスケールメリットで勝負する仕入れ力はない。価格を下げれば利益に直接響く。「この業態ならチェーン展開できる」と確信し、利益のマイナス分を自分の給料で吸収しながらなんとかしのいだ。その後は低価格業態が注目される不景気を追い風に、郊外を中心に出店を加速することになる。しかし、30店舗になったくらいから出店スピードに売上が追いつかず、全体の資金繰りを圧迫する事態に陥る。苦渋の末、思い切って社員に「休みを削らせてくれないか」と申し出た。それまでピンチは幾度となく乗り越えてきた社長が初めて見せる深刻な表情に社員にも動揺が走り、社内に沈滞ムードが拡がる。道頓堀出店という大勝負に出たのはそのときだ。投資規模は郊外店の数倍にも及ぶ。しかし勝算はあった。郊外店で鍛えられた鳥貴族の商品力には圧倒的な自信がある。何より、飲食業のメッカ道頓堀に出店することで、社内に漂う暗い空気を吹き飛ばしたかったのだ。最後は「この俺がこんなんで終わるはずがない」と奮い立たせ、決断に踏み切った。道頓堀店の看板が揚がるのを戎橋から眺めながらこみ上げてくるさまざまな想い。「ここまで来れた」という感慨と同時に、見える景色が変わった瞬間でもあった。「全国展開」という次なるステージの幕開けだった。「再び社員に夢を与えた」道頓堀店は想定以上の繁盛店になり、会社も一気に息を吹き返す。利益は全て出店費用にまわし、関東、中部にも進出。現在293店舗、2016年までに国内1,000店舗をめざす。創業して27年、大倉氏の信念は変わることはない。焼鳥を究め、焼鳥で感動させる。「僕は『焼鳥と永とわ遠に』と本気で思ってる。だから他の事業をやっても鳥貴族と同じくらい魂は入らない。社長が魂を入れない事業なんかに社員はついてこないですから」。設立/1986年従業員数/3,200名(パート・アルバイト含む)事業内容/全品280円均一の焼鳥屋チェーン。じゃんぼ焼鳥『鳥貴族』は、関西大阪を中心とし、東京を含め全国展開している。株式会社鳥貴族代表取締役大倉忠司氏http://www.torikizoku.co.jp/「トリッキー」秘話などWEBでのみ取材こぼれ話を公開中!?http://www.sansokan.jp/bplatz/12月7日金大倉社長のセミナーを開催?詳しくはP9へ02