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【ロングインタビュー】結婚、出産、離婚…29歳でつかんだ「自分で選ぶ人生」

2015.10.09

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―そこからどう突っ走ったのですか?

いざ再就職しようと思っても、半年間航空会社にいただけのキャリアは何の意味も持たないことがわかって苦労しました。苦しむ中で、自分にできることはなんだろうと考えたときに、氷河期の就職活動で何十社もの内定を得たことを思い出しました。

この強みを生かそうと、25歳からエアラインに特化した就活スクールの講師の職に就きました。子どもを育てながら必死に働いて稼ぎは月に3万円くらい。稼げたことはうれしかったのですが、3万円の価値を30万円、300万円に上げるにはどうしたらいいのだろうと考えました。自分の力をつけ、魅せ方を変え、フィールドを変えればいいんじゃないかと。お金を稼ぎたかったというより、自分の価値を認めてもらえる生き方をしたかったんです。

―そこで独立をしたんですね?

リーマンショックを機に、自分の力でやってみようと、自身のエアラインスクールを開業しました。実績だけはきっちり積んでいました。就活スクールって、全員が志望企業にうかることはないんですけど、私は一人ひとりを志望企業に送り込むことをミッションにしていました。以後、5年間内定率100%のスクールとして、常に予約待ちの状態が続くほどでした。

23歳の時には、29歳の自分を想像するのが怖かったのですが、いざ29歳を前にしたら何も困らない自分がいて。ためらいなく離婚を決めました。ちゃんと決めたことをできる自分がいることが自信になりました。自分をほめてあげたいと思いました。

―それでも不安はなかった。

離婚した直後は、このままで大丈夫なのかと不安に思ったのが正直なところです。転職サイトを見たりもしました。いろんなところからオファーもいただいて、1000万円近い報酬も提示していただきました。でも、私は自由でいたかったんです。それに、1000万くらい稼げるだろうという思いもありました。

―会社として立ち上げたのは昨年、32歳のときですね。

「女性の採用、教育のプロデュース企業」として2014年の3月に会社を設立しました。当初は11坪の狭い事務所で、6万円の家賃を払うのもしんどいほどでしたが、「1年後には必ず広いところへ引っ越そう」と心に決めて、1年経たないうちに今の56坪の事務所に移りました。

会社を立ち上げてからというものの、休みが欲しいと思わなくなって、平日はほとんど奈良の家に帰らず、大阪で寝泊りしています。

―お子さんはどうされているんですか?

奈良にある実家で、両親と一緒に暮らしています。スタッフは15時半で帰ってしまうのでそのあとの残務整理でどうしても遅くなってしまいます。夜にお客様との会食を済ませ、また戻って明日の仕事の準備をしているとどうしても夜中までかかってしまいます。家には週に何回も帰れません。なんとか明け方に帰って、娘にチュッってしてまた仕事に向かうこともあります。

オフィスの近くの住まいで一緒に暮らす選択肢もありますが、奈良のほうが子育ての環境としては恵まれているので、連れてきたくないというこだわりもあるんです。

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株式会社 UA Links

代表取締役

廣岡絵美氏

http://www.ualinks.co.jp/

 事業内容:企業で女性が女性らしく活躍できる企業を増やすために採用と育成の両面からサポート。